ええじゃないか伊勢最終回「ホンモノのニセモノ」。



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上の写真は、どっちかが「赤福」でどっちかが「御福」である。
一見しておわかりだろうか。(箸袋とかで見分けるのは、ナシ)
赤福」の方は、日本人ならば大半の人が知る、日本を代表する菓子の王者である。
一方「御福」の方は、知る人ぞ知るB級スイーツの部類に入るのだろうか。
パチモノの中のパチモノ」と、とかくイロモノ扱いを受けてしまう、御福である。
「ひょうたんのマークの正露丸」や「明石屋さんまの『シングルベッド』」のように、ただ
「間違われることの恩恵」にあずかっているだけではないか、と勘繰りたくもなる。
ヨメが韓国の商店で掛けられたという「ホンモノのニセモノ〜〜」という声をも思い出す。
が、いろいろ調べてみると、諸説紛々。決して御福が紛い物だとは言い切れないようだ。
昔は御福の方がメジャーだった説や。伊勢の赤福、二見の御福、という棲み分け論やら。
もともとこういう、餅をこしあんで巻くお菓子は近辺の数多くの店が出していた、と。
その中で、赤福と御福だけが生き残ったという、自然淘汰説やら、いろいろだ。
事の真相はよくわからなかったが、ともあれ、御福も御福でうまいのは確かだ。
甘さ控えめなあんこと、餅の上品な食感は、赤福にむしろ勝る、と自分は思うのだが。
まああれだ、イチローとサブローみたいなものではないかな、と(違)。
野球をよく知ってる人はサブローをパチモノとは決して言わないだろう。彼もまた個性。
サブローもサブローで立派な選手だ。でも、片っぽがあまりにも有名になりすぎた。
また、言うても、サブローの方に「狙ってる感」は否めない。その悲哀と相通ずる。
赤福と御福と言えば、また小学校の修学旅行の記憶が蘇る。
どういう事情かはわからなかったが、修学旅行の何日か前の日、お土産の予約をしたい人は
事前にせよ、という指示があった。で渡されたのが「赤福」「御福」それぞれの注文表だった。
家に持ち帰ってオカンに見せたら、「こっちのほうが安い」と話を「御福」にもってこうとする。
そこはやっぱり子供である。「♪ええじゃないか、ええじゃないか」とコマーシャルでもやってる、
誰もが名前を知ってる「赤福」がやっぱり欲しい。それで泣かんばかりの口論になったような気が。
両方の味を知ってる今だったら、喜んで「御福」にするところだろうが。無理もない話だ。
自分にもし子供ができて、小6になって、同じ局面になったら。どう対処したらいいんやろう。
オカンとの口論が結論としてどうなったかは忘れてしまった。記憶はいつでも断片にすぎない。
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ベタにこんなところも行きました。

このアングルは、なかなかない。
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記憶の断片といえば。夫婦岩。やっぱりほとんど覚えてへんかったわ。
いやうっすら、自分が誰かと夫婦になるんだろか、と当時思ってたような気がするぞ(マセガキ)。
相手はその時意識してた○○さんや△△さんや××さん(多いやろ)ではなかったが、
夫婦として夫婦岩に戻ってきたよ。
岩は変わらないが、岩を結ぶ綱は年に何回も張り替えるとか。
こちとらも、綱を絶えず新しくしていかんとね。
そんで、愛が「ホンモノのニセモノ」とならんように、と。おおそうか。