『グロテスク』/『OUT』。

グロテスク 上 (文春文庫)

グロテスク 上 (文春文庫)

グロテスク 下 (文春文庫)

グロテスク 下 (文春文庫)

OUT 上 (講談社文庫 き 32-3)

OUT 上 (講談社文庫 き 32-3)

OUT 下 (講談社文庫 き 32-4)

OUT 下 (講談社文庫 き 32-4)

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まとめて読了。『グロテスク』は友人の薦めによる。
『OUT』の方はヨメの本棚から拝借。
まず『グロテスク』については。
そりゃあもう、グロテスクやったな(そのままやないか)。
なんでこんな気持ち悪いことをこの桐野という人は考えてるんやろう。
また、なぜ俺はこんな気持ち悪いのを読まねばならんのか、と思う一方。
なんやろ。鼻かんだ後に開いて見たくなることあるよね。あるいは、
見るからに臭ってそうな靴とか靴下とか、試しに臭いでみたくなる、とか。
あ私だけ、ですか。すんません、なんか汚い話になってしまい。
そういう、思わず異常を好んでしまう心境とその一方で。
異常とはいえ実は深層では同じことを考えているかもしれない、そいう、
大脳新皮質を取り除いた部分の自分を揺さぶられる感じがあった。
次に『OUT』については。
そりゃあもう、OUTって感じで…(二度やると極寒やな。失礼)
さすがは数々の映像化、舞台化がなされ、賞をとった作品だけのことある。
完成度、キャラクターの立ちかた、プロットのテンポではこっちの方が
上だった気がする。まあ、抉りの深さでは圧倒的に前者が上なのだろうが…
主人公のとんがった感じが好きだなあ。実際におったら私も惚れそう。
あ、だからって… おおっとこれ以上はネタバレですな。
それから、一番怖いのは「天然」だと再確認したよ。あと師匠最高!
毎度バラバラな感想で申し訳ないです。
それでは、以下毎度のネタバレ部分。





『グロテスク』の方では、「手記」の形は斬新だった。
冗長でしんどかった面もあるが。まあ、そこはわざと冗長にしてるんかもしれん。
真実はどこにあるのか。現実とは何か、虚構とは何か。それを黙考させたという意味では
この方法は成功だと言えようか。また個人的には、佐藤和恵のイタさを見るにつけ、
自分の身を切られる思いだった。あそこまでではないにせよ、昔の自分といちいちかぶった。
『OUT』の方では、邦子をあっさり殺しすぎなのと(死んだ時はざまみろ、と思ったけど)
刑事や邦子の夫など、フェイドアウト(洒落のつもりない)してしまっている人をもう少し
使って欲しかった点。あと上巻ではせっかく、「日常に潜む怖さ」をよく描いているのに、
結局全てを佐竹とそれを見る雅子の「異常」に帰着させているのが残念だった。
ラストの方のシーンは、映画、舞台では描き方が違ったんだろうなあ… あれは現実化無理。
でもそこ変えたら、主題すら変わってしまう気がするが。そこんとこどうしてたんだろ。
あと関係ないけど、上にも述べたが、弥生が一番怖いよ、自分的には。

<本日の言葉>
「頑張る信仰。わたしは宗教がかっていると思いました。
 『何でも頑張ればいいってことなの?』
 『当たり前じゃない。努力すれば報われるのよ』」
                     『グロテスク』より
「男たちは自分の時間を勝手気儘に使い、あたかもそこが定点のように、
 夕食だけはあることを信じて家路につく。
 雅子には男たちの無邪気な信頼が不思議だ。」
                     『OUT』より