みちのく珍道中4「夏・混浴物語」


青荷温泉にて。そばの渓流とともに。

らんぷの宿、とはよく言うたもの。

山の幸ふんだんの料理(フラッシュ使用)。

ノーフラッシュだとこんな感じ。闇鍋かよ。

闇でこそわかる光のありがたさよ。
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「♪ハァ、テレビもねぇ ラジオもねぇ」
東北の歌、というと真っ先にこれが頭に浮かんでしまうのは、
リアルタイムの年齢のせいと、ぶっとび(死語)の性格のせいであろう。
それはともかく、十和田湖から八甲田山麓を経、青荷温泉に移動した我々。
今宵の宿はそれこそ「電気もねぇ」、その名も「らんぷの宿」であった。
売店の冷蔵庫とか自販機とかにはちゃんと電気が通っているのであるが、
それ以外の場所は客室はもちろん、廊下から風呂・トイレに至り、一切電気なし。
照明は全てランプが頼り、というのがこの宿の最大にして最強の特長。
調度品や内装もそれに合わせた徹底ぶりは、さながらテーマパークであった。
「不便」「不都合」にニーズを見出し、逆にそれを強みにしたセンスが素晴らしい。
それでいて、掃除も行き届いているし、食事も充実しているのには感心した。
比べて悪いが、前泊の大規模旅館とは、どえらい違いであったような気がする。
サービスは「布団はおめだぢが敷がねばなんね」と書いてあるよう、基本セルフ。
その放任が心地よかった。温泉宿にありがちな居心地悪い接客、とは無縁だった。
しかし、あっっつかった。電気もねぇてことは、クーラーも扇風機もねぇてこと。
この日は、この地で年に一日二日あるかないか、てゆう酷暑だったそうな。
その一日二日あるかないか、が今年は何日も何日もあるそう。今、地球がおかしい…
食事の時は、大広間(と言ってもあまり広くない)に宿泊者全員が集められ、
隣の人と肘が当たりそうになるくらいのスシ詰め状態。学校の修学旅行を思い出した。
で、うだるような暑さの中、酸欠になりそうになりつつ(ランプの影響も?)、
汗みどろになっての宴であった。一瞬、我慢大会?と錯覚した。まさに地獄絵図。
しかし食事はおいしかった。ごはんと味噌汁が秀逸。日本に生まれてよかったー(織田風)
汗だく、いうても、風呂は入り放題なのでそれもよし。と、非常にゆるい気持ちになれた。
風呂と言えば、この青荷温泉に宿泊が決まってから、ずっと頭を支配していたことがあった。
ここには、いくつもの風呂があり、基本はもちろん男湯・女湯が用意されているのだが、
中央にあるメインの風呂だけが「混浴である」という事実であった。おおそうか。
混浴。コンヨク。KONYOKU。なんとも、人の(特に男の)心を揺さぶる響きであろうか。
「混じって浴びる」んやで、なんかすごいです。何がすごいんやらようわからんけど。
「混浴こそ男の本懐」とまでは言わんけど(言うてるがな)、興味津々であった。
いやあれね、見えるとか見えないとか、やらしい意味では全くなくって。どういうものか。
作法やエチケットなどあるのか。実際その場にいると自分がどんな心境になるのか。
異文化体験の一環として混浴を捉えたい。そういう高尚な思いだったのであるよ。
しかしヌーディスト・ビーチにも同じことを思うけど(これも体験ないけど)、自分の場合、
「見えることの問題」よりも「見られることの問題」の方が強い気がするのである。
全く、粗末なモノしか持ち合わせていないもので、て違うか。ともかく、自意識が強いのだ。
それと自分の場合、「どうせ見えない」というのもある。さすがにメガネ着用、はマズイやろ。
この時ほど、近視手術をしたヨメをうらやましく(おっと)思ったことはない。自分もやろか。
むむ。結局、見えるとか見えないとかいう話に行きついてしまうのか。
実際には、ヨメが難色を示したので、入れずじまいだった。残念。
さすがにヨメさん残して、混浴に入りに行ったら鬼畜やろう。
というわけで、散々頭を悩ませた混浴体験は、またの機会へ譲ることにする。
しばらくは耳年増な状態が続きそうである。あるいは半永久的に。
こんな変態な自分に罰が下されたのか。やたらアブに攻撃をうけた。
入浴中、ぼーっと混浴のことを考えていた時のことだ。
「アブ」ノーマルに喝!とでも言われているようであった。
おあとがよろしいようで。(いいか?)