幻の完全試合。

いやはや、惜しかった、というのはあまりにも惜しい話。
大リーグはデトロイト・タイガースのガララーガ投手。
9回二死まで26人で抑え、27人目の打者を迎える。
打球は1・2塁間に転がる。一塁手がこれを好捕。
ベースカバーのガララーガ投手にトス。打者走者より一瞬早くベースに至り、
完全試合の偉業なる! と思いきや、次の瞬間、ジョイス一塁塁審の手は大きく広がった。
放送はスローVTRを繰り返す。明らかなアウトだ。「世紀の大誤審」は行われてしまった。
試合後VTRを確認したジョイス塁審は意気消沈。ガララーガ投手に謝罪する始末となる。
謝罪を受けたガララーガ投手は、「彼は本当に恐縮していた。誰も完全ではない」と語ったとか。
ノーヒット・ノーランは「投手の個人事業」だが、完全試合は「チーム全体の合作」だ、とはよく言う。
が、いやはや。それには審判も(時には相手チームも)入っていたのか、としみじみ痛感。
しかし見上げたのはガララーガ選手の姿勢だ。夢破れた後も(記録は「内野安打」となった)、
落ち着きを取り戻し完封したのもそう。或いは塁審へのコメントがあまりにもイキではないか。
今後注目の選手である。某番組ではないが、天晴れをあげたい。いや自分があげずとも、この日曜には
御大二人があげることだろうか。関係ないが、私は御大二人はどうでもよく、隣のメガネっ娘
目当てでこの番組を見ている。いや失礼、これは全く関係がなかった。
しかし何でも、大リーグでは、あの「内野安打」をコミッショナー裁定で「エラー」に変更して、
「ただの完封試合」を「ノーヒット・ノーラン試合」に「格上げ」しようという動きがあるらしいが。
果ては、同様に裁定により「完全試合」を認めてしまおう、という論すらあるらしいが。
これは少し違うんではないか、と。今までのイキな流れとは裏腹の、野暮ったさを感じてしまう。
それにつけても、最近大リーグでは完全試合が多い。(話バラバラや、毎度)
今シーズンは既に二試合達成されている。で、今回である。大リーグ100年の長い歴史で
達成者は20人に満たないのに。近年のこの頻度は異様だ。何か原因があるんだろうか。
ドーピングを厳しくしたからかとか。打者のレベル低下とか。球場が広くなった、とかとか。
一方日本では、ご存知のように、94年に槙原寛己投手が達成して以来、16年間達成者が出ていない。
その前となると、78年の今井雄太郎投手まで遡ってしまう。この数の少なさも異様ではないか、と。
ピンポン玉のようにボールが飛び、狭い球場のフェンスをこすったような打球が超えてしまう、
それが今の日本野球。そこには、完全試合のおしっこちびりそうな緊張感が無い気がする。
まあ、これは好みの問題かもしれないが。
もひとつ話しバラバラついでに。
幻の完全試合といえば、佐賀商業・新谷投手(のち西武など)を思い出すなあ。
あれは小さい頃テレビで見てて痺れたよ。新谷さんこそ、私を野球オタクにした責任者の一人だ。
(それは自己責任では)