ボーンヘッド・マークル。

大リーグ史に永遠に残る、「苦すぎる話」がある。
1908年9月23日、ニューヨーク・ジャイアンツ(当時)対シカゴ・カブス戦での出来事。
両軍は、激しい優勝争いを繰り広げており、この一戦はそれを左右する大一番であった。
試合は1−1のまま終盤を迎え、9回裏、2死ながら本拠のジャイアンツにチャンスが巡った。
三塁にマコーミック、一塁にマークルを置き、打者ブリドウェルが中前に弾き返した。
マコーミックが生還。サヨナラ!
と誰もが思い、場内はお祭り騒ぎ。観客が場内になだれ込み、大混乱となった。
その混乱の中、カブス二塁手エバースは冷静だった。二塁ベース上に立ち、大声で叫ぶ。
「ボールをよこせ、ボールだ!」
なんと一塁走者マークルが、二塁を踏まずにそのまま帰ってしまっていた、というのだ。
混乱のため、実際がどうだったかも、誰がどんな裁定をしたかもその時はわからず。
なんとなく試合は終わっていたが、球審オッデーは戻ったホテルの自室で「裁定」を下した。
「マークルはアウト。マコーミックの得点は認められない。」
ジャイアンツ側は当然抗議し連盟に提訴したが、会長の返答はこうであった。
「この試合は『引き分け』。ただし優勝争いに関わってきた時この試合の代替試合をする。」
果たして、両軍はこの後も激しく戦い、シーズン終了時には全く同率で並んでしまった。
代替試合は行われ、カブスが勝ってしまったのだから、ジャイアンツファンはたまらない。
四面楚歌のマークルは、この年のルーキーだった、ということだ。
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なんでこんな話をするかというと、昨日の阪神・新井の「謎のタッチアップ」をナマで見たから。
(ご覧になってなかった人のために。9回裏1死満塁から打者・城島が犠牲フライを打った。
 当然ながら三塁走者マートンは生還したが。二塁走者新井も何故かタッチアップし、
 危ういところでタッチアウトとなるところだった。)
まあ、事なきを得たのでよかったものの、マートン生還より先にアウトになってたら、
それこそ球史に残る珍プレーだったんではないか、と。まあ、愛らしいといえばそうだが。
えらそうなこと言っているが、私はマートン生還に喜ぶのに必死で見ておらず。
ヨメや周りの観客の指摘で初めて気付いた。まーなー、普通そんなことないもんなー。
勝って兜の緒を締めよ、だ。こんなことしとったら、野球の神様に嫌われても仕方ない。
生まれて初めてナマで見たサヨナラ勝ちだったが。なんともケチがついた感じだ。
この日の試合を成立させてくれた、阪神園芸さんの素晴らしさも書きたかったんだけど。
それはまた、日を改めて。