やみつき・ひとりハイク2010[1]。


さあ次はいよいよ…

看板までがモダンだ。

あくまで近代的な外観。

周りはこれから、というところ。

結局はこういうとこへ。

松崎しげるの「こてこて指数」はどのくらいか。
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2010年3月14日。今年で開業100周年のH急電鉄(何故伏せる)。
その記念すべき年に、めでたく新駅が開業した。
正雀(しょうじゃく)―南茨木間に完成した、摂津市駅である。
この摂津市駅、日本唯一の「カーボンニュートラルステーション」らしい。
おお、言葉の意味はよくわからんが、とにかく何か、ものすごいんだろう。
関東出身の大学の友人が、常々、「なんでK阪(伏せ字全く意味なし)と
H急の駅は、茨木市高槻市枚方市門真市… て『市』がつくんだ。
茨木、高槻でいいじゃん。なんかあれ見るとイライラするんだ」と言ってた。
鉄の血が騒ぎ、いろいろ調べたが結局わからんかった。いちおうの仮説は、
(1)関西は関東と違って旧国鉄と私鉄の仲が悪かった。
(2)既に「茨木」と「高槻」が国鉄にあり、差別化をはかるために「市」をつけた。
(3)門真、交野、枚方、八幡などに国鉄はないが、茨木市高槻市と統一した。
じゃあなんで、宝塚市豊中市池田市伊丹市、はないのか??
昔K阪とH急はひとつの会社だったらしいし、その「京都系」と、
H急宝塚線神戸線とはルーツが違う。その辺にカギがありそうだが、結局わからん。
ともあれ、友人のフラストレーションのネタがもうひとつ増えた格好だが。
「○○市」に怒って関東に帰ってしまった(そうか?)友人が「摂津市開業」の
知らせ自体受け止めているのかは知らん。
で、開業早々の15日に、筆者は思わず摂津市駅を訪れてしまったわけであるが。
鉄の血が騒いだのもそうなんだが、昔この近辺に住んでいた懐かしさもあった。
住んでた頃はよく、終電が正雀で止まってしまうので、自宅まで1時間ほどかけて
歩いたものであった。(ある時は本能的に) その足跡を今回たどった形である。
忠実に辿っていると、当然の如く、昔よく行っていたラーメン屋に足が向いた、が。
むむう。こんなに遠かったっけ? 酒をガソリンにして、真っ暗の中歩いていたのと、
シラフで明るい太陽の下歩くのとでは、やはり体感距離が違うんだろうか。
しかしま、あのラーメンを食べるための事前カロリー消費だ、と頑張った。
それもそのはず。そのラーメンは、「箸が立つほどのこってりスープ」がウリだった。
なるほどどこかで聴いたフレーズだが。そう、亡くなった先輩が言うところの、
天一compatible」なラーメン。いやほんま、笑うほどパチもん臭いんやけど。
で、めっさうまいってわけでは決してないねんけど。なんかひきつけられる味、てか。
みなさんどうだろ。「沢尻エリカ」と「沢尻エリカ似のキャバ嬢」のどっちがいいか。
前者の方が綺麗かもしれんが、日常レベルとして魅力があるのは後者ではないか。
て、ほんま毎度わからん例ですみません。つうか、私、実体験があるわけじゃないんすよ。
あくまで想像してのことでありんす。(花魁風に言訳)
そして旧宅付近へ。この場所は、我々夫婦の本籍地でもある。引っ越す時に本籍を
移してもよかったのであるが。スタートはここ、てのを形で残しとこう、ということで。
なんにしろ、「帰る場所」が、ひとつでもたくさんあるのは素晴らしいことである。
昔よく行っていたパン屋でパンを買い、昔よく行っていたキムチ屋でキムチを買った。
パン屋のおばちゃんもキムチ屋のおばちゃんも、全然変わってなかった。
余談だが(そもそも全てが余談)、今の生活には至極満足ではあるのだが、足りない物が
あるとすれば「いい感じのパン屋」と「うまいキムチ屋」なんだなあ。(あと独りで飲める飲み屋)
反面、つぶれている店とか、何が建っていたか思い出せない更地なんかもあって。
変わらないと思っているものも、すこしずつ変わってゆく。
変化しないことの大切さ、変化することの大切さ。それを痛感した「帰郷」であった。
とこれ、槇原の歌っぽいフレーズやね。パクッたのパクらないの、とややこしい話に
またなるといけないですな(笑)。また減らず口が増えそうなので、この辺で。
バイナラよ。