伯父さん見習い中。

こないだ実家に行ったら、親から正月ん時の写真を渡された。
弟の長女次女と一緒に仲良くピースして写る丸顔のオッサンは誰や。
毎度写真を見て思うが、いやー。私、こんなに丸かったかいなあ。
スカイプのエモーティコンの丸顔メガネのモデルはあなただ」と
ヨメからいつも言われ憤ってはいたが。これでは至極納得、である。
まあ、年末年始は食っちゃ寝だったから無理もないわな、と弁解。
脳内は正月にさかのぼる。母の還暦祝いで家族全員が集まったのだ。
知っている人には今更だが、私は三きょうだいの一番上である。
弟、妹とも結婚してしばらくになり、弟んとこは三人女の子ができた。
妹にも男の子一人ができ。集まったのは父母と三きょうだいとその伴侶。
そして父母から見て四人の孫である。総勢十二人の会合は賑わった。
孫たち、つまり私から見て甥姪たちを見ていると、非常に面白かった。
弟んとこは、リアルキャッツアイ、ってか、リアル三姉妹探偵団てか。
それぞれに個性があって。ついこないだまでオムツをしていたと思ってた
長女はすっかりお姉さん風を吹かせている。幼稚園でも「仕切屋」らしい。
次女はかの橋本真也も真っ青の「破壊王」で。笑いも不敵で、なんか怖い。
三女はまだ赤ん坊なんだが。動じないてか、茫洋としてる、というか。
何かと「ねえねえ見て見て!!」と声をあげ皆の注目を促す長女を見てると、
「女の子に『自我の確立』というプロセスはない。女の子の場合は、
 『地球よりも大きな自我』を、次第にこそいでいくプロセスなのだ」
という、どっかで読んだ言葉を痛感せざるを得ない。とにかく元気だ。
一方、黒一点(?)の、妹の息子は、非社交的で、なかなかからまない。
賑わう周囲をよそに、機関車トーマスと戯れ「トーマスは…エドワードは…」
と自分の世界に浸りきっている。ただ聞くところによると、トーマスのみならず
実際の電車にも異様な執着を示しているらしく。将来が楽しみである。
もう少し大きくなったら、伯父さんが是非英才教育をしてやろう、と(妹拒否)。
会合の中、甥姪と楽しく戯れる父母を見ていると、実に微笑ましく思った。
反面。ふと。
「この人たちはもう、私にとってのお父さんお母さんではなく。
 この子らにとっての、おじいちゃんおばあちゃんなんだな。」
という、なんともいえない思いが去来した。寂しさとか妬みとか、そんなんでは
決してないのだが。そして当たり前と言えば当たり前の事実なんだが。
自分のアイデンティティに揺さぶりをかけられる瞬間のひとつではあった。
すんません、これ、『きのう何食べた』に似たようなセリフがあったのだが。
アイデンティティといえば、甥姪にとっては伯父さんである自分。それにも、
まだなかなか慣れないでいる。まだ甥姪が赤ん坊だった頃は、自分の中でも
「油断」があったのかもしれないが。三姉妹の長女がハキハキ喋るようになり、
自分の口で「おじさん」と呼ぶようになると。さすがに時間は待ってくれないな、
という事実を突きつけられた気がする。そういう、楽しくも感慨深い正月だった。
本来の順番どおり、自分がお父さんになり、もとの父母が祖父母になり、それから
下のきょうだいに子供ができて伯父さんになる、というプロセスを経ていれば、
こういう「衝撃の瞬間」は訪れなかったのかもしれない。訪れたこと自体が
いいことなのか悪いことなのかはわからない。ただ、自分の経験の引き出しが増えた、
という意味ではよかったのかもしれない。思えば自分は長男だったので、子供の頃から
少なくとも親には「何でも一番」に扱われることを当たり前と思ってきたかも。
弟に先に子供ができた時は、正直、「ケンシロウが継承者に決まった時のジャギ状態」に
ならなかったといえば嘘だ。それがま、今ではトキのように自然に受け入れてるというか。
て、毎度ながらわからん例ですみません。
そういう小難しい話は抜きにして。宴の最中、酔眼でいい気分になっていると、ふと、
弟の長女に背中を抱きしめられた。精一杯手を伸ばして抱きしめようとしているが、
手が回りきらない様子。すまんデブで。そのうち手の方はあきらめ、背中に頬をすりすり。
その瞬間、なんかほろりと、「伯父さんになるのも悪くない」と思ったのである。
「お父さん」になるのがいつのことかは分からんが、今しばしは
「伯父さん」を楽しみたいと思う。そして良き「伯父さん」でありたい、と。