人生の背中。

(2010年度大阪大学<英語>入試問題)
「子供は親の背中を見て育つ」という言葉があります。それでは、
親というものは子供にどのような「背中」を見せる「べきではない」
と思いますか。また、それはなぜですか。具体的な例をあげながら
70語程度の英語で説明しなさい。
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私が前、工場に勤めとった頃の話である。
知らない人(ほとんど、か)のために、すこし補足説明しておくと。
学生時代からこちら、「一銭にもならんプライド」にがんじがらめで。
それを守るためにあらゆる勝負から、そして自分から逃げていて。
ついに羊水の中(?)まで戻ってしまった。そっから兵糧攻め(?)やら、
近しい人の死やらいろいろあって、取りあえずイチからやりなおそう。
と思い直し雑誌で見つけた仕事である。「入社試験」は簡単な足し算だった。
極小の部品を組み立てたり、検査したり、簡単なコンピューター処理をしたり、
というのが業務内容だった。その頃の話である。書きたいことは
いろいろあるのだがそれはまたの機会に譲るとして、ここではひとつに絞って。
工場はライン生産で動いとったのだが、ラインが込み合っている時は、
鼻血が出るくらい忙しかったのだが(本当に鼻血が出た)。ラインが止まると、
おかしいくらいにヒマになってしまっていた。生産と人事の不一致、というところか。
ヒマな時はしかたないから、仕事を引き伸ばしたり、次の仕事の準備をしたり、
また、掃除したりして、ひたすら交代の時を待っていたものである。
仕事の準備いうても、表を作ったり、ハサミで紙を切ったり、ちう感じなのだが。
そんなヒマな時、同じ班の先輩が若手をつかまえて、目玉がとろけるくらい怒っとった。
「お前ええ加減にせえよ!『こんな仕事』と思ってやっとるやろ!仕事は仕事ちゃうんか!
 こんな時こそ、しっかり仕事せないかんのちゃうんか! そいう時に人間が出るんや!」
それ見て自分が怒られてるような気がして、丸まってた背中を伸ばしたものである。
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これで終わったら、美談、てなもんなのだろうが。若手がくさるのも無理なくて。
世話なった以上あんまり文句も言えないのだが、その工場はいろいろ、おかしかった。
若手は遠くの地方から「応援」でやってきた子で、給与体系はその地方のままらしく。
我々の半分くらいの給料で働かされとった。我々、というのは私と「先輩」のハケン組のこと。
その上に「正社員」、がいた。正社員の中には、我々の二倍、若手の四倍くらい給料もろとって、
しかも居眠りこいてるオッサンとかおった。先輩はオッサンはスルーしとった。
ま、自分もスルーしてたから同罪だが。
でもその「先輩」には私はほんま一目おいとって、「人物だ」と尊敬しとったのだが。
我々のハケン契約が切れる直前、「先輩」が私を含む皆から金を借りまくっとることが判明した。
この件はまだ私の中で消化しきれていない。「どの口がそんなこと言ったのか」と片付けるか。
或いは、その他の状況がどうあれ、あの時の、あの先輩の言葉は真である、ととらえるか。
難しいね。いまだに答えは出ない。
私はあそこでたくさんのことを学んだ。
あそこが、私の人生の背中なのだ。
これは『マスター・キートン』の受け売りで申し訳ないが。
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っと。答えになっているだろうか。
つうかこれ、どうやって70字でまとめるねん。