Seven reasons for my loving AIKO UEMURA.

愛子さま(ロイヤルなテイストだ)の素晴らしさを引き続き称え続ける。
この溢れるばかりの、そして呆れ返るばかりの愛をとくと見よ。
見たくなくても、ここに来た以上見よ。ようきたな、まあ座れ。
称えるべき点は数え切れぬほどあるが、ここでは七つに絞る(絞ってるか?)
「一段一段の努力」「内面」「透明感」は先にも述べた。これで三つ。
容貌は美しいのはもちろんだが、チャームポイントを敢えて挙げるとすれば。
「歯並び」である。最近モデルといいアイドルといい、矯正がデフォルトである。
白くて美しい歯、は美しいのは美しいが、人工美の域を脱しない感がある。
八重歯普及委員会の役員であるムとしては淋しい限りであったが。嬉しい悲鳴だ。
「100%に美はなく、99%に美が存在する」とは誰が言った言葉か知らないが。
知らないのは当然だ。私が今作ったのだ(おい)。端正な顔が笑顔でほころぶと、
がたがたっと歯が見える、いやほんと。あれは良い。すこぶる良い。
あまりにフェチシズムに走ると、読者が減りそうなので、いい加減にして。
のこり三つは少々真面目に。いうても少々、なのであるが。
五つ目は。上村愛子選手は、伊丹市は鴻池の生まれであるとか。伊丹市といえば
ムが今住むここムーラン市(伏せる意味は)の東南。またムが生まれ育った
ルージュ市(これも伏せるか)の南、で。「同郷のよしみ」、というやつである。
この間鴻池付近を車で走っていたら、垂れ幕がかかっておりテンション↑だった。
どういうわけか伊丹という街は、アスリートが生まれる土壌なんかな。
西武・中島といい、楽天・田中といい、巨人・坂本といい、ねえ。なんでかな。
空港と昆陽池があるからだろうか。ここで一句。昆陽池と読めるあなたは摂津人。
不十分なオチとともに六つ目に移ると。これも方々で言われているのであるが。
上村愛子の半生を見ていると、「人間万事塞翁が馬」を痛感せざるを得ないのだ。
誕生時の心臓病療養のための長野移住。これがなければ、スキーとの縁は浅かったはず。
いじめの傷心を癒すためのカナダ旅行。これがなければ、モーグルとは出会わなかった。
人生の難局を、ことごとく人生の糧にしている形である。非常に考えさせられる。
先の「一段一段」もそうだが。彼女の生き様には本当に学ぶ点が多い気がする。
最後に、上村愛子を語るには、あの母親を語らなければならないだろう。
子供を全面肯定することを前提に、大きく包み込むように見守ってゆく。
今理想の母親像といえばまず、あの母親ということになるんだろうなあ。
母と娘ってうらやましい関係だと思う。これはヨメや妹を見ててもそうなんだが。
父と息子には微妙な緊張があるし、母と息子には微妙な照れのようなものがあるが。
母と娘は、何の気負いも衒いも照れもなく自然に触れ合える人間関係であろう。
自分は絶対に母娘にはなれないわけで、それがうらやましさに輪をかける。
いや、可能性がゼロというわけではないか…、と黙考(考え込むな)。
というわけで、自分がジェンダーの垣根を本気で乗り越えてしまわないうちに、
バイナラよ。以上、上村愛子さんの素晴らしさ、についてでした。
これ、カーリングの本橋選手の活躍を横目に打った。自分、一体なんなん。
つうか仕事せえ。