汝、数えるなかれ。

小学校の頃、母親の行為で、どうしても許せなかったことがある。
あ、母親が、ではない。母親の行為で、であると念のためフォロー。
休み前の終業式から帰り、通信簿を渡した直後、それは始まる。
「いち、に、さん、、、、今回は『よくできる』が○○個ね。」と。
で、前より頑張ったねだの、もう少し頑張ろうね、だかの話が続くのだが。
学年が進むにつれ、それにだんだん違和感を覚えるようになってきた。
母親的には本当に何の気ない行為であったのだろうが。自分には苦痛だった。
また、増えたから頑張った、減ったから頑張らなかった、とどうして言えるのか。
また数うんぬん以前の話、どうして算数と国語の「よくできる」を
足すことができるのだろうか、と。それは別々のものではないんか、と。
たぶん5年か6年かについに「やめろ」と頼んで、それからはやめてくれたと
記憶するが。今から思えばややこしい話だった。中学以降のデジタル方式の方が
よっぽどわかりやすく、気持ちの整理がついた気がするが、と話はよれつつ。
で。
明日からついにバンクーバー・オリンピックが開幕する。
メディア報道も五輪モードといよいよシフトしつつあるが、どうしても気になるのが、
荒川選手だか誰だか、冬季競技のスペシャリストたちに対し放つ、アナウンサーの
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「今回日本は何個メダルをとれそうでしょうか」
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この言葉である。
一回でいいから、スペシャリストが「そんなん知らん、わからん」と言うのを
聞いてみたいがそれは別の話で。
スポーツオタクを標榜するには、好き嫌いはいけない。冬季競技にも私は興味がある。
フィギアもスピードスケートもモーグルカーリングもホッケーも興味があるし、
それで知っている選手が活躍するならば、すごく感動するだろう。涙さえするかもしれない。
しかしそれらは、ひとつひとつの別個のドラマなはずである。それをどうして「足す」のか。
長野五輪の総メダル数十個。トリノ五輪は一個。じゃあトリノの選手は頑張ってなかったのか。
あと、千葉すずさんではないけど、なんで日本人はこんなにメダルメダル五輪五輪いうのか。
荻原選手が、上村選手が、何回W杯を制しても、五輪で金がとれないと…となる。
こんなんおかしくないか??
スノーボードの選手の振る舞いが今、取りざたされてる。彼の行為はなるほど褒められたもんじゃ
ないけど、なんか、こういう日本人の五輪狂ぶりをセセラ笑っている感がないではない。
といって、やっぱり五輪となると応援しつつ見てしまう自分、なんなんだいったい。
ごちゃごちゃとまとまらないが、言いたいのは。
岡崎朋美選手と上村愛子選手と、カーリング本橋麻里選手は、見逃せないということだ。
(それが結論かよ)
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更新頻度が高まっているのは、ヨメが今海外に出てていないからであります。
今週のゴミ当番も終わったし、来週は心おきなく夜更かしして観戦だな(こら)。