土佐出会いの旅2「牧野富太郎植物園」。

二日目は、前日にましての土砂降りであった。
この日は安芸キャンプ訪問の予定であったが、天候は絶望的だった。
しかしそこはオタク。行くだけ行ってみようと。国道55号線を東へ。
到着したところ、駐車場はガラガラ。関係者以外の人間は、見たところ
我々だけである。水たまりに足をとられつつ(ハマりつつ、とも言う)
施設を巡る。と、ドーム内から威勢のいい練習の声が。ややテンション上昇。
耳だけで楽しむキャンプ訪問。においだけの鰻、の感がないではない。
ただ、さらに諦めずにうろつくと、高台からブルペンが一望できることを発見。
数人の選手の投球を、しばし眺める。48番石川と47番白仁田が目をひく。
「やっぱり番号若い人のほうが速いね」ヨメが呼応。もう立派なオタクだ。
しかし石川はもう少し元気が欲しい。白仁田はボールが高めに抜けがち。
そのへんが彼らが、宜野座でなく安芸にいる理由なのだろうか。(毎度偉そう)
野球オタク熱も概ね満たされ。次は歴史だ。安芸市内の史跡を巡る。
レトロな温かみのある野良時計はよかった。また、スリーダイヤの創始者
岩崎弥太郎の生家は、テレビのような掘っ立て小屋ではなく。思ったより立派。
実はスリーダイヤには、700宿700飯くらいの恩義があるので、よおく拝んだ(?)。
面白かったのは、野良時計の隣の食堂で昼食を摂っていた時の、
隣のおばちゃん達の会話。どうも地元安芸の人々らしい。あまりに大声のため、
盗み聞きするつもりはなかったが耳に入る。おばちゃんたちは、某ドラマにおける、
地元の名士の扱いが不満らしく。「あんなにきたなくせんでもええのに…」とこぼす。
また名士を演じる俳優の演技にも「あれはやりすぎ」とおかんむり。
他、主人公の大根ぶりなど某ドラマをさんざん吊るし上げの後、ひとりがまとめる。
「やっぱり年末の『雲の上』の方がよかったわ」
「そうそうやっぱ『雲の上』」
はて、そんなドラマを年末にやっていただろうか、と。
雨の安芸を面白く過ごした後、高知に戻り、次は五台山上の「牧野富太郎植物園」へ。
ここは、高知に来るまで存在すら知らず、予定も全然していなかったのだが、
前日に市内の案内看板をヨメが見つけ、感動を覚えたため、急遽訪問を決定した。
私が野球オタク歴史オタクならば、ヨメは少女の頃「植物オタク」であったらしい。
図書館でその、『牧野富太郎植物図鑑』を借りては隅々まで眺め、山野の草花と
照らし合わせたり、ひたすらデータを記憶したり、と楽しんでいたらしい。
ジャンルの違いはあれ、そういう楽しみは共感できる。今回偶然この場を見つけた、
僥倖に感謝、である。或いは今は亡き博士が、ヨメを呼び寄せたのではないか、とも。
植物園では、雨に濡れさらに生き生きとした植物と、興味深い展示に見入る。
少年のような純粋な好奇心と、大人としての厳しさ粘り強さ。研究者に必要なものを
教えられる。自分には両方なかったな。特に後者が。と過去形で言うのも悔しいが。
最後に蛇足ながら。
この植物園を訪れる際、「ナビゲーション説子さん」に全くしてやられた。
当然植物園を「説子さん」に入力し、案内に従い運転をしていたのである。
植物園は先にも述べた五台山、という山の上にあるのだが。全然山に登る様子がないうちから
「残り、およそ700m先、目的地周辺です」 と言い始めた。
ええ、うそやろ、そんな早いわけないやん、と疑っていたが。
「残り、およそ300m先、目的地です」 と続ける。
何かの間違いだ、と思いつつも運転を続けると、正面にトンネルが見えてきた。
で、そのトンネルのど真ん中で、のことである。
「目的地に到着しました。案内を終了します。」
ええー、てなわけで。
なるほど、牧野博士は、植物園の地下に秘密研究所を作られたらしい(わけはない)
似たような話を「すべらない話」で松ちゃんがしとったなあ。