会津珍道中2「ならぬことはならぬものです」。
ちがったわ。
我々、猪苗代に行ったのは二日目で、
一日目は郡山からその足、磐梯熱海温泉ちうところに泊まったんだった。
すっかり「なかったこと」になってた。新年からこちらボケてますわ。
今更訂正もでけへんので、そのまま続きとして書いて行きます。
悪しからず御了承の程。
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言わずと知れた、白虎隊。
悲劇の主人公は、私の半分くらいの歳の少年たちであった。
鶴ヶ城。天下の名城も、近代兵器の前になすすべなく。
会津若松夕景。喜びも悲しみも平等に夕日は照らす。
街角で求めた本。
- 作者: 伊藤善創
- 出版社/メーカー: 歴史春秋出版
- 発売日: 2010/01
- メディア: 単行本
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龍馬ブームの昨今である。某テレビのイケメソ龍馬の是非はさておき。
全く関係ないが、福山君使うのは反則よな。かっこよすぎる違和感。
男は二種類しかいない、福山君であるか福山君でないか、である。
「どうやったら福山君になれるか」というのは我が人生の難題である。
「フェルマーの最終定理」なんぞ目ではない究極の難題だよそれは。
失礼、話がよれてしまった。まその龍馬贔屓の雰囲気、である。
『竜馬がゆく』の愛読者でもある私にとってどうしても、それに対する
会津―新撰組ラインは、残虐非道、との印象を抱いてしまっていた。
しかし歴史は必ず両面から語られなければならない。寺田屋の悲劇も
悲劇であるなら、白虎隊の悲劇もまた、悲劇である。
また歴史はともすると勝者によって語られる。敗者の声なき声に
耳を傾ける、それが今を生き真理を求める人間に常に求められる姿勢。
その意味では、今回の会津行は大いに勉強になった気がする。
詳細は、上記の図書や、会津に点在する史跡の由緒に譲るとするが、
手短にここで挙げたい印象に残った点は、痛切なまでの義、とそして
不条理と闘わねばならぬ人間の姿である。そういうものに引かれて、
ここにやってきたのかもしれない。また、実はム先祖伝来の地は、
ここ会津のすぐ隣なので、実は浅からぬ縁がかつてはあったのかも。
鶴ヶ城の上から、会津若松を照らす夕日を見つめながら、
この夕日は何度そういう人間の不条理を見てきたのだろうか、と
思いを馳せた。夕日に赤く照らされたム、その横顔は
まさに福山雅治そのものであった。わけはない。
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<本日の言葉>
「ならぬものは、ならぬものです」
『会津日進館、従の掟』より
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重々しい掟である。
大阪弁に訳すと「あかんもんはあかん」となりそうだが。
雰囲気が大分違う。