会津珍道中1「はやくきてくたされ」。


偉大なる野口先生。

つうか、開けてくれ。

猪苗代湖への道は、雪に阻まれる。

会津磐梯山の雄姿を望む。
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多くの少年がそうであるように、私も医者を志していた時期があった。
また多くの日本の少年がそうであるように、あまりに有名な伝記の影響が理由だ。
左手のハンディに挫けず勉学に打ち込み、周りの支えもあり幸運にも左手を治療される。
その感動から医者を志し、さらに研究の道に入り、世界人類の命を救うため身を捧ぐ。
そして文字通り、身を捧ぐこととなる。まさに日本の産んだ最大の偉人のひとりである。
千円札にしておくのは全く惜しい。十万円札を作ってそれに印刷してもいいほどである。
と冗談はさておき。
子供の頃に読んだ「偉人・野口英世」も好きだが、偉人伝においてはピーーーーな箇所。
放蕩癖、驚くほどの借金のうまさ、ストーカーまがいの行為、そういう大人になり知った、
「人間・野口英世」の部分も非常に魅力を感じる。偉人像とのギャップの妙である。
そしてやはり、野口英世は、母・野口シカを語らずしては語れないであろう。
「はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、」と哀切に叫ぶ手紙は
あまりにも有名である。手塩にかけた末偉くなった息子。そして偉くなればなるほど、
自分から遠ざかっていく息子。その心情はいかばかりか。その手紙があるという野口記念館。
そして野口の人生に重大な影響を及ぼした囲炉裏もあるといい、訪問を楽しみにしていた。
で、閉館中かよ。
手元のガイドブックには、年末年始のことは何も言ってなかったのだが。やられた。
大阪から新幹線を乗り継ぎ、郡山から会津若松へ。その途中、猪苗代で下車したのは、
ひとえに、ここを訪れるためであったのだが。無念である。仕方ないから、周囲を巡り、
垣根の隙間から生家をガン見した。そしてせっかくだから、猪苗代湖を見ようと湖畔へ。
ところが折からの雪に行く手を阻まれる。ふくらはぎまで雪で埋まる状態、危険だと断念。
やることがなくなったので、次の電車の時間まで、ぼーーっと会津磐梯山を眺めて過ごす。
しかしこれがよかった。こういう旅先での過ごし方もあっていいのではないか。
富士山はよく女性にたとえられるが、ごつごつした、荒々しいこの山は、無骨な男性を思わせる。
かつてはそれこそ富士山のような端麗な山であったらしいが、度重なる爆発で吹っ飛んだ結果、だ。
その爆発では多数の人々の命をも奪った。また、この火山の影響で麓の猪苗代湖には生物が少ないとか。
受け入れ、包み込む自然も自然ならば、厳しく突き放し、拒む自然も自然である。不思議な感動だった。
野口英世も仰ぎ見たであろう、この山。野口はそれに父を見ていたのではなかろうか。
伝記にはあまり出てこない父、である。
磐梯山の上には、青い空が広がる。高村光太郎の妻、智恵子が「ほんとうの空」があると語った
安達太良山はここからそう遠くはない筈である。
待ちに待った会津行は、ゆったりと始まった。次の電車まで1時間。
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小原庄助さん 何で身上潰した 
 朝寝朝酒朝湯が大好きで 
 それで身上潰した 
 ハーモットモダーモットモダ」
            『会津磐梯山』より


小原庄助野口英世とともに尊敬する人物である(おい)