10000人の第九。

暮れの大阪の風物詩、「10000人の第九」に義父が毎年参加している。
一度観に行きたいと思いつつ、なかなかタイミングがあわなかったのだが、
今年やっとその機会を得た。想像以上に素晴らしい体験であった。
今年のゲストシンガーは、槇原敬之氏であり、前半は氏のミニコンサートの
様相であった。わりかしマッキー好きな私としては、これもラッキーだった。
もっとも、義父は氏がお気に召さない様子で、当初は今年の参加見送りも
考えたらしい。「あんな××(筆者編集)×××ような奴と一緒に歌えるか!」と
しばらくオカンムリであったのだが。どうにか折り合いをつけられたらしい。
しかし槇原氏には悪いが、やはりこの日のメインは「第九」であった。
いやほんと、陳腐な言葉にするのが惜しいが、感動した。(少し寝たくせに)
素晴らしい生オーケストラに、佐渡裕氏のタクトさばきに。(少し寝たくせに)
いやはや、第九第九というが、いわゆる「第九」て最終部分のところなんね(無知)。
全部通して聞いたのは始めてである。第一第二楽章あたりでは、耳を洗う
音楽の心地よさに、ついついまどろんでしまった。自分の鼾で起きた恥。
10000人が一斉に起立した瞬間、びくっ、となってしまったのも恥。
そして大合唱。佐渡氏のタクトに大阪城ホールが震える。自分の心も震えた。
それぞれの人生を生き、それぞれの苦しみ楽しみを抱えた10000人が、今この瞬間、
ひとつになって歓喜の音楽を奏でている。全てはこの、歓喜の一瞬のためにある。
小さくは自分の瑣末な日常の苦労も、大きくは戦争も貧困も不景気も環境問題も、
この歓喜の一瞬に収斂されていくような気がする。「人間性の絶対肯定」ちうんかな、
そんな確信のようなものが去来し、涙が止まらなくなった。恥の上塗りもいいとこ。
義父の慰労と忘年会を兼ね、夜は鶴橋でのホルモンパーティーに興じた。
自分としては、前食べ損ねたこともあり、ラッキーであった(ごめんな、と誰に謝る)。
「鶴橋でホルモン」は義父たっての希望であった。地元に帰ってからの宴を希望する
ヨメの反論は「意外性を求めるんや」とはねつけられ。しかしホルモンをご希望とは…
比べるのは恐縮だが、「肉が食えん」と最近こぼす実父ならば絶対にない選択であろう。
また、音楽にしろ食べ物にしろ、義父のその進取の気概、我が義父ながら尊敬である。
義父との出会いは、ヨメと結婚した最大の特典だと思う。(もちろん義母も、とフォロー)
そんな義父から、今年もまた、来年の第九は君に任せる、とのお達し。むむう。
実際見て興味は高まったのだが、二つ問題がある。
ひとつは、第四楽章まで起きていられるか、という問題(こら)
もうひとつは、たぶん感極まって歌えなくなるんではないか、という問題である。
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<本日の言葉>
もちろん
Alle Menschen werden Bruder, wo dein sanfter Flugel weilt.
(あなたのやわらかい翼がとまるところ、全ての人間は兄弟となる。)
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またドイツ語やりたいな、という気になった。
イッヒ、リーテ(私はリーチする)と
イッヒフンバルト、ダスウンチ
くらいしか覚えてへんもんな。
なんか、最後でぶち壊しで、失礼。