同窓会問題。

To go, or not to go, that is the question...
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中高の同窓会の案内が、このネットワークの最果てにも迷い込み、
非常に頭を悩ませている。正直、動揺していると言ってよい。
しかし、何故こんなにも動揺せねばならないのか。自分よ。
よくよく分析し、動揺の理由は三つあると思い至る。
ひとつは、内輪の会ではなくややオヒサルなものであり、
「気の臆ける」人とも会わねばならぬことがあろう。
おそらくこんな会でもないと一生会えない人もいるだろう。
そんな人に会ってみたい反面。自分の経験則から言って、
昔好印象を持っていた人は、今会っても好印象であろうが、
昔印象が悪かった人は、だいたい印象が悪いままである。
そのリスクをどう考えるか、である。
二番目に、中高時代の数々の恥ずかしい思い出が、
あんなことも、こんなことも、噴出してくるからであろう。
アメトークの「中学時代イケてないグループに属していた…」
の大ファンである自分。中高時代の惨状は推して知るべしである。
あの頃は(いやその後しばらくずっと)、女の子と一言しゃべった
それだけで結婚まで考えたよなあ、とか。その、初めて女の子に
話しかけられた一言は、「質素な弁当やねえ」やったな。
その娘の名前は一生忘れないぜ。あ別に恨んでいるとかではないんけど。
野球では外野でようトンネルしたなあ、自分はレフトだったんだけど、
ボールを必死で追いかける背中に、ショートの奴に指差して笑われた、とか。
そういう、身を切られるような思いが、フラッシュバックするんである。
「還暦記念同窓会」とかでは全てが笑い話となるんだろうが、そこは不惑前。
全てを笑い話にするには、まだ若いのかもしれない。
三番目は、二番目の最後とかぶるが、やはり現在の自分を言うても
完全には受け入れてないんやろうな、という点。おそらく名刺交換などあろう。
名刺を持たぬ自分は、その度おずおずと、「名刺ないんで…」と告げねばならぬ。
「名刺交換しない主義なんです!」と高らかに宣言するのもひとつだろうし、
キャバ嬢チックな手製のデコ名刺を用意するのも、一興であるが。なんだか。
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と、ここまでnot to go回路でひたすら考えたが、ここからto goへ渦は逆流。
会って気持ちのいい人ばかりと会っていても、楽しくはあろうが、成長はなかろう。
自分と違う考えの人と接することにこそ学びがある。
また、現在の自分を受け入れ、新たな自分を切り開いていく契機となるんでは。
「馬鹿になれ、夢を持て、」とアントニオ猪木も言っている。(前使ったな)
それから、名刺や肩書きで判断されるのが嫌や、言うてるもんが、
実は一番、名刺や肩書きで人を判断しとうのやないか、と。むむむ。
ちょっとまて、ここまで自分、自分のことしか考えてないやないか。会合を盛り上げ、
会合の成功に一役買おう、てのもあるんじゃないか、と。
で、今のところは行こうかな、という思いに達しつつあるが。また弱気の虫が出るかも。
ま、気張らず、一杯ひっかけに(お酒、であるよ。念のため→何が念のためだ)行こうか。
つうか、結論として。お前一人増えようが減ろうがあまり変わらない。だから気張るな。
いやらしいかもしれないが、職業柄、宣伝する機会と考えるもよし。
そろそろ妙齢のお子さんをお持ちの方もいよう。
そういえば、六星占術では自分、12月は「再会」なんだよな。
これまた、よく出来た話だ。
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<本日の言葉>
「遠く遠く離れていても 僕のことがわかるように
 力いっぱい輝ける日を この街で迎えたい」


同窓会の案内状、どっちに○をつけようか悩む以前に。
案内状などなくメールなのであるよ。これも時代かなあ。