ときめき、ふたりハイク。

「愛とは、互いに見つめ合うことではない。
 ふたりが同じ方向を見つめることである。」らしい。
互いを見ないで済むからである、とオトす辛口派もいようが。
とまれ、同じ方向を向いていつつ、注意の向く対象やら、
それに対して持つ背景知識とか体験とかは違うわけで、自分ひとりでは
到底できない発見やらを発想やらを共に歩く者は投げかけてくれる。
ひとりハイクもま、それはそれで非常に楽しくはあるんだけど。
ふたりハイクの醍醐味はそこにある。人生もそれに似て、だ。
今回は、久しぶりにヨメとの都合がついて、ふたりで繰り出した。
交野(かたの)は交野(こうの)山が今回の目的地であった。
まずは、地元ムーラン駅から(毎度ながら勝手に命名)、尼崎を経て
東西線に向かう。この線に乗るたび、例の悲劇と、企業というシステムを思う。
さらに電車は京橋(←ええとこだっせ)から学研都市線に入る。
ここから先は、この線の先の先のずっと先にある大学を受験しに行って以来だ。
流れる車窓を見つつ、脳裏に昔の自分が蘇る。先の見えない不安を抱えていた。
その、あの頃の自分に会えるならこう伝えたい。心配するでない。
先など、それから先もずっと見えないのであるよ(おい)。だから大したことない。
ヨメと入試ネタでひとしきり盛り上がりつつ、河内磐船に到着。ここがスタート。
「磐船」の名は、天から岩の船に乗ってやんごとなき方が降りてこられた、という
伝説に由来するらしい。その他にも、この近辺は、「星」のつく地名や星に関する
地名が多い。また、「七夕伝説」ゆかりの史跡もそこかしこに存在する。
非常に興味深い。また個人的なことだが、不思議なことにこの近辺には「中山観音」も
三宝荒神」も存在するのである。大阪平野を遠く隔てた、うちの近所にも両者がある。
うちの近所の中山観音にも「星くだり」の風習がある。何か関係があるのかしらん。
河内磐船から河内森と徒歩で過ぎ、いよいよ山に入ってゆく。関係ないが、この
河内磐船と河内森、を「乗換駅」とするのはどうかねえ。まいいねんけど。
阪神電車とかやったら、この距離内におさまる全く別々の駅、とかザラにありそう。
話がよれた。ある程度登り、獅子窟寺で休憩。展望のきかない展望台が微妙。
ガイドブックを良く見ると、「展望台(展望はきかない)」と大書。やられた。
山をまわりこみ、山腹の集落を通過。無人販売で求めた柿をまるごと頬張りつつ。
藁焼きの臭いに強烈に秋を感じる。

いよいよ河野さんもとい交野山山頂へ。この山頂に代表されるように、この山系には
巨岩がごろごろしている。それが様々、特殊な信仰を生んでいるのであろうか。
ヨメは楽しそうにひょいひょい登っていく。アクロフォビアなムは、無理。
へっぴり腰で固まる。下の写真は山頂からの展望。もちろんヨメが撮影。

下山後、夕闇迫る中、七夕伝説を存分に匂わせる名の機物(はたもの)神社へ。
残念ながら、七夕ぽいアトラクション(?)は一切なし。が、ヨメが珍しい
「子連れ狛犬」を発見。ひとりで来てたら、絶対気づかなかったであろう。

七夕て、ロマンスというか恋愛の象徴みたく言われている気がするが、
よう考えたら、破滅型恋愛の悲劇的話であるんね。他山の石としたい。
というか、他に何もできなくなるくらいの恋ができるつうのもある意味、幸せなのか。
今日日、そんな人がどれくらいいるのだろうか、と。
それは恋、であるな。恋と愛とはまた別物。
ま、私は、そのどちらでもない、どっちかっつうと変、と縁が深い気がするが。
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<本日の一首>
一年に 一夜と思えど
たなばたの逢ひ見む
秋の限りなき哉
       紀 貫之