やみつき・ひとりハイク4。

もうひとつ、私の2009年を表す言葉としては、間違いなく、
「ひとりハイクにはまった年」である。この月曜も性懲りもなく決行。
月曜祝日に頻繁にひとりで出かけているのは、ヨメと不仲であるという
わけではなく、ヨメの学校がご苦労にもハッピーマンデーをつぶして
授業をする傾向にあるからである。ヨメも可哀想ではあるが、
学生さんはもっと可哀想である。授業数の関係から仕方がないらしいが。
とんだハッピーもあったもんである。私が学生なら暴れそうであるが。
あ、どっちみち授業にはあまり行ってなかったので変わりない、か。
閑話休題
今回は、地元中の地元。実家のあるK市(伏せても意味ない、毎度)を
貫流する「ふるさとの川」猪名川に沿って、ひたすら下ってきた。
といって、猪名川はもう少しで海、というところで神崎川に合流して
しまうので、海原に出るというカタルシスを得ることは出来ぬ相談。
幼少の頃は、「神崎川の方が短いのにずるい!」とぶつけようのない
怒りを感じていたものである。行きの電車でそんなことを思い出して
いたからであろうか。すごく記憶を触発される旅路となった。
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最寄のK西N勢口駅(だから伏せるなって)から、まずは川原に向かう。
川原はバーベキューに興じている家族連れ、若者でごった返している。
肉の焼ける匂いが食欲をそそる(おじいさん、さっきご飯食べたでしょ)。
あー、と。場所的には、すげえ良さげですね。でも問題は駐車場っす。
すげー並んでましたよ。早く始めるか電車で運ぶかっすかねえ。
と誰に業務連絡してんだか。
ここを通ると、やはり猪名川の花火大会を思い出さざるを得ない。
様々な「さあここが現場です」を目にするにつけ、ほっこりしたり、
きゅうっとなったり。らじばんだり(もう古いか)。
今は花火会場は一面のススキとなっており、その波に大きい秋を見つける。
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河川敷は運動公園へと姿を変える。野球やサッカーの練習や試合が
繰り広げられている。そのうち、少年野球の試合にしばし足を停める。
前にも書いたかもだが、私は少年野球から野球をやりたかったのだが、
なんと地元球団のセレクションに落ちてしまった。(落ちたのは私一人)
野球に対し倒錯かつ屈折した愛情を私が持っている、その原因のひとつ
であることには間違いない。今しばし少年野球の試合風景を食い入るように
見つめたが、無理もない話だが、どうにも、しょぼいんである。
改めて、何で落ちたんだろう、落とされたんだろう、と悔しさを反芻する。
当時のレベルが高かったのか。或いは今のレベルが低くなったのか。
或いは下手な子にも門戸が開かれる時代となったのか。ならばよい。
少年野球でも草野球でも、眩しいのは、ベンチの女性陣である。
あなたが眩しい草野球、とはよく言ったものだ。違うか。
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伊丹付近。空港の滑走路のすぐそばを通る。離着陸を繰り返す飛行機の迫力。
私は、飛行機はヤらないのだが(じゃあ、何をヤるというのだ)、
そんな私にも伝わる感動と旅情。心を奪われる。奪われつつオヤツに。
にしても人多いな。そして排気ガスがすごいな、やはり。
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美しい斜張橋
斜めから射す秋の日。
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尼崎に入る。田能遺跡付近の洒落た石畳。
小学校の遠足で来たはずなんだが。全く覚えてないわ。
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園田競馬場の横をすり抜ける。ゴールは近い。
中は結構の入りらしい。時折、嬌声とも阿鼻叫喚ともつかぬどよめきが起こる。
競馬場の歓声を聞くと、いつも『蜘蛛の糸』のような情景が頭に浮かんでしまう。
野球やサッカーの歓声とは全然異質で。私が競馬が苦手な理由のひとつである。
(ファンの人ごめんなさい)。そういや亡くなった先輩は昔、よう競馬に自分を
引き込もうとしてたもんだ。一度くらい一緒に行けばよかったかな。
しかしそんな先輩も、「ムーラン、やるんやったら仁川か淀までにしとけ。
それやったらファッションで済む。お前に園田は無理や」と忠告なんだかよく
わからんことを言ってた。馬の臭いが漂う中、記憶は止め処もなく流れ。
どうも嗅覚は記憶を刺激するらしい。
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ゴールは園田駅。結構ディープな町の雰囲気に、胸が高鳴る。
(写真は気が引けて取れず)
今の生活に不満はほぼないんだが、欠けている部分があるとすれば、
この活気、この喧騒、であるかもなあ。嬉しさのあまり、屋台でキムチを購入。
これ持ってIMZ線乗るのは勇気がいりそうだが。決死の覚悟、であった。
本日の素晴らしき日は、キムチのにおいとともに、思い出せそうである。
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<本日の一首>
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば
 いでそよ人を 忘れやはする」
            大弐三位