中国珍道中其の四「神の在る国」。


これは「通常の向き」であったが…

これは「通常とは反対の向き」らしい。

Feel the Power.

そんなやつおらへんやろ。
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最終日は、「縁結び」であまりにも有名な、出雲大社へ。
まあ「今更」と言うなかれ。縁は恋の縁男女の縁だけにあらず。
人間の全ての営みは縁無しには成り立たない故。といって、いつも
寺社に行くと思うのであるが、改めて「お願い」することってあまりないのである。
いつも良縁をくださりありがとうございます、お守りくださりありがとうございます、
そういう、「お礼参り」の様相が強い。いやはや、本当、ありがたい限りである。
それとは別に、歴史オタクとしては、これ以上の歴史の宝庫はないわけで。
その意味でも、興味深い参拝ではあった。「逆説の日本史」にあるように、
果たしてここは、オオクニヌシのパワーを封じ込めるための「結界」であるのか。
逆巻注連縄の謎、二礼四拍手一礼の謎(死、に通じると前掲書にはある)、などなど。
注目ポイントが数多く。また、非常にラッキーだったことに、全然知らなかったのだが、
「たまたま」何十年に一度の「本殿特別拝観」が実施されており。早速飛びついたところ。
やれサンダルはダメ、半ズボンはダメ、と非常に厳しく。たまたま私はこの後大阪に空路帰り、
その後すぐ仕事せねばならぬため、比較的ぱりっとした格好をしていたのでよかったが。
それでも、男性はシャツをズボンの中に入れてください、とかほんまに細かく指示される。
ポロシャツをズボンに入れる日が再び来るとは。現役オタクだったころを思い出す。(今は違う、と。)
じゃあ何か、女性は入れんでいいのか、なぜ?どうして? と内心ブーたれる私。
考えてみれば、最初からあっちに、或いはもっと大きいものに、ペースを握られていたのか。
拝観前に、職員の方の講話が始まった。これが最初やたら上から目線で、内心ムカついた。
この拝観がいかに特別なものであるか。聖地に入るには入るだけの準備がうんぬん、とか。
拝観希望は多く、申込みを断らざるを得ないとか、だから広告も出していない、とかとか。
話はテントの中で行われていたのだが、怪しかった雲行きがますます悪くなり、この時になり
雨が激しくテントを叩き始めた。雨音、職員さんの険しい顔。なになにー、神様怒ってるのん?
そして続いた、「この中で特別拝観があると知らなくて、たまたま来た人は手を挙げて」と。
なんか学校の先生に怒られている場面のようだった。最初は手は挙がらなかったが、職員さんの
射るような視線に、皆が周りを見ながら、おずおずと、パラパラと、手を挙げた。私も続いた。
そこで職員さんは、満面笑みモードに切り替わり、
「ご安心下さい。あなたがたが今日ここに来ることは、あなた方がたまたまと思ってても、
 昨年10月22日に、神様の会合で決まっていたのですよ。ようこそ、出雲大社へ!」
ここから、雰囲気が一変した。明るく軽妙に話は進む。モード使い分けには目を見張った。
そして、「神様の徳を持ち帰るも持ち帰らないも、あなた方次第。要は神様を受け入れる心。
皆さんのその笑い、笑う心が、受け入れる心です。そろそろ、神様の方はあなた方を受け入れる
準備ができましたようで。雨も上がりました。いってらっしゃい!」
で、誠に不思議なことに、さっきまでの土砂降りが、この時ほんまにぴたっとおさまったのだ。
これは鳥肌ものであった。いやほんま、ほんまの話なんすよ。
笑う心が、神を受け入れる心だとすれば。
笑いあふれた暮らしが、神と共にある暮らしとも呼べようか、
人間と、自然と、文化と、暮らしと。
様々なことを教えられた、この中国(地方)旅行も終わりを迎えた。
この旅で得たものを、毎日の生活という旅で、生かせてゆければよいな、と。
帰りの小さな小さな飛行機に乗り込んだ、ケニチロとヨコであった。
ておい、赤い方の飛行機屋さんよ。もし何かあって乗客名簿が出たら、これが出るわけやね。
こんなことになるなら、わざわざカタカナに戻さんでもいいのではないか。
いやま、笑って許そうか。笑いの心は神の心、と。