中国珍道中其の参「ユートピア」。


山の朝。

石見銀山五百羅漢。ウチのオヤジは働かん。

川口ひろしが〜洞窟に入る〜(洞窟ではない、そしてネタが古い)

名物・石州瓦が目につく町並み。

町並みは、町の人の努力で保たれているそうな。

ジュースまでは古くありませんよ。

still life。
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2009年8月11日。
お客さん、三日目アルね。(もおええやろ)
前日に広島からえんえんバスに揺られ、北上。大田市の温泉旅館泊。
建物は「合宿所」という感じだったが、料理とお湯は最高であった。
この日。世界遺産石見銀山を訪れた。ここはかなり通好みの遺産であるとみた。
ガイドの方の言葉を借りてしまうが、ここは屋久島の屋久杉やら、京都の荘厳な寺社やら。
宮島やら原爆ドームやら。果てはなんやら大聖堂やらなんやら峡谷やら。そういう、
わかりやすい、誰が見ても一目瞭然で感動を与えられるような目玉があるわけではない。
もちろん、そこいらを掘ったら銀がざくざく出てくるわけでもない(私は探したが)。
間歩(鉱山の坑道跡)は入れるが、それもスリリングな地底探検、というのと違う。
いろいろな痕跡から、過去の銀鉱山の賑わいと、その当時の「世界の中の日本」に
思いを馳せる。そんな「遺産」なのである。しかし歴史とは本来そういうものではないか。
故に「石ころひとつからいろいろ想像を楽しめる人」でないと、ここはおすすめできない。
そして皆様が訪問されることがあるならば、時間が許すならば、是非「ガイドツアー」に
参加されたい。我々は「無料ガイドツアー」の「間歩」「町並み」両方に参加させて
頂いたが。知識もさることならがら、ユーモアと話術に溢れたガイドさんの話は一聴に値する。
ただ、本当は「有料」に参加された方がいいのかもしれない。我々は日程の都合がつかなかったが。
無料だと、ほんまいろんな客がきてしまうからな。十秒も黙ってられへんオバハンとか。殺意。
あと「かえりーーたいーーーーー」とブー垂れるガキとか。嫌やったら、話きかへんのやったら
帰ったらええのに、と何度思ったか。いやしかし、それを超えて、ガイドさんの話は興味深かった。
「間歩」の方では、労働者待遇についての話が非常に面白く。鉱山といえば「強制労働」であるとか、
佐渡島流し」であるとか、そういうステレオタイプがあったのだが。それは何に由来するのだろう。
鉱山労働者は、「技術者」として重宝され、その技術を守るべく、その子供への教育も施されたとか。
労働者が病気になった場合、回復するまで家族も含め手当てが支給された、であるとか。
山師(=間歩の所有者、経営者)が、労働者の安全を祈って寺社を立てていた、だとか。
確かに過酷な重労働というのは無視できないが、それを割り引いても、この労働者を人的資本とみて
尊重する姿勢は意外であり、感銘を覚えた。正直、現代より進んどったんちゃうんか、と(苦笑)
「町並み」の方では、武家も町屋も、大きい家も小さい家も渾然一体となった町の様子が印象に残った。
これも「狭くてどうしようもなかった」という事情はあるのだろうが。武家武家で町をつくり、
町人は町人で町をつくり、双方が独立した集団となる、という普通の町とは一線を画している。
いろんな身分、いろんな階層の者が、助け合いひとつの町を作る。これは現在の格差社会に向けても
強烈なアンチテーゼを呈しているのではないだろうか、と。ま、もちろんいい面ばかりではないだろが。
昔は銀を中心に、今は自然と観光資源を中心に、町に町ぐるみでの小ぢんまりとした「生活」がある。
またそこには「息吹」がある。その町が昔は銀、今は貴重な歴史的メッセージを世界に発信している、と。
これは、人間から「生活」と「息吹」を奪った巨大資本主義にも対立する概念ではなかろうか、と。
話がまた大きくなりすぎたが、ともかく、いろんなことを自分に刺激してくれた、
また、思い出させてくれた石見行きであった。断言する。ここは世界に誇れる遺産である。
ただし、素人にはおすすめできないわけなんやけどな。
次は出雲大社日本海に夕日が落ちる、車窓からの眺めに感動。
ごめんなさい、写真はヘボくて載せられません。