中国珍道中其の弐「のろのろ、じたばた」。


旧広島市民球場。牧歌的。

兵どもが夢の跡。

広島城天守閣。原爆で消失後再建。
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2009年8月10日。
お客さん、二日目行く前に、一日目に書き忘れたコトあるアル。
先それ書いてから二日目行くあるヨロシのコトね(しつこく復活)。
東京組合流前に、ヨメと広島駅下の地下道を歩いていたら、
もと阪神中村豊選手(現コーチ)とすれ違った。ヨメともどもプチ感動。
それを興奮交え東京組に伝えたが、「誰それ?」と返され少ししんなり。
2005年9月7日。中日との優勝争いの激闘、それにケリをつけた伏兵の一発。
そのフラフラした弾道は虎党の頭に強烈に焼き付いている(はずだ)が…
ま、「細かすぎて伝わらない感動」であるな。
二日目はまず、旧広島市民球場へ。場内見学が自由だったので、当然入場。
私にとっては、はじめての「市民球場」となってしまった。少し残念である。
ボロさは、昨日の、最新鋭のボールパークと強烈なコントラストをなしていた。
しかし、グラブの革の匂いが漂ってきそうな、そういう、懐かしい感じがした。
中では、中学生と思われるチームが試合をしていた。村上春樹が何かで書いてた
言葉を借りれば、やたら盗塁と四球と暴投の多い試合が繰り広げられていた。
その光景には微笑ましくも寂漠としたものを感じた。我々はボロ椅子に腰掛け、
それを見るともなしに見ていた。後から考えればこの時間ロスは痛かったわけだが。
場内には、球場のなんだかの記念に寄せられた、プロ野球各球団監督のサインが
掲示されていたが。その中で横浜・大矢監督のだけが、何かおかしかった。
つらかったのかなあ、嫌やったんかなあ、と心配。同時に、だから辞めたんかなあ、
と微妙に納得した。監督の名誉のために、どうおかしいかは、ここでは書かない。
皆様には、実際行って見てくだされば幸甚。
その後、広島城を見学。メンバーの一人の足どりが急に速くなったのが可愛らしく。
そういや、昨日球場行く時は、自分がぐいぐいひっぱてたなあ、と苦笑。
といって自分も、城は好きだ(何か変な表現)。サンフレッチェ毛利さんと、
リフォームリフォーム福島正則の記事を読み込む。特に毛利情報は、明日以降の
石見銀山行きの格好の予習となった。あと、「三矢の教え」の比較論も面白く。
しかし広島人にとって、「殿さま」はやはり毛利なんだな。浅野さんの立場は。
そんな中私は、リフォーム福島に敬意を表し、石田三成ストラップを購入(何故)。
つうか、この時間ロスも痛かったわけだが。ではその問題の場面へ。
昨日のお好み焼きがやや不本意だったため、本日のお好み焼きには気合が入ってた。
ただ、東京組が二時過ぎの新幹線で帰らねばならないため、時間的制約があった。
目をつけていた店には行列ができていて、一度は帰りかけたのだが、丁度その時
グループが店から出てきたため、誰からとなく、なんとなく並び続けてしまった。
嗚呼集団的意思決定の脆弱よ。日本はこうやって先の戦争を始めたんだろうな。
列も進まず、店に入ってからも、信じられないほど食事が出てこない。
一生懸命焼いているオッチャンには悪いが、もう少しやり方があるんではないかなあ、
でも、こうして注文受けてから一枚ずつ焼くスタイルが、クオリティを保つのかなあ。
(昨日の店は、完全分業流れ作業だった。) このバキ込みの店の中で、
食べ終わってからも延々尻を下ろし、部下とおぼしき二人に延々人生観だか教訓だかを
垂れ続けるオサーンに殺意。結婚式で長々スピーチを続けるオサーンと共通のKYぶり。
こんなオサーンに限り、自分が人格的に優れていると信じて疑ってないのだろから世話はない。
注意したかったが、部下の立場も考えてやめといた。大人になるってつらいね、お互い。
そしてついにリミットがきた。東京組は、お好みが焼き終わるやすぐパックしてもらい。
タクシーで新幹線へと向かう。残された我々二人は、あらゆる神に彼らの無事を祈りつつ。
アーメンソーメンお好み焼き。頂きます。いやこらまたおいしいなあ(行動矛盾してないか)
こうして何だか、バタバタと興奮冷めやらぬ中、次の目的地。石見へと向かう二人。
同じ頃、新幹線車内を、お好み焼き臭で充満さす東京組(ガス兵器、とも言う)。
その双方に幸あれ、と。
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<本日の言葉>
大一大万大吉

石田三成の旗印。私の最も好きな言葉のひとつです。
今風に言えば差し詰め「One for all, all for one.」てとこでしょう。
西軍が勝ってたら、三成の理想は実現してたんでしょか。果たして。
でも、みっちゃんのことだからなあ、、、