中国珍道中其の壱・「野球と平和」。


路面電車研究会、活動中。

粛然たる決意は抑止力に勝る、と思う。

記憶。

曇天と球場。執念で雨は止む。

漆黒の闇にカクテル光線が映える。
*****
2009年8月9日。
ちょいとお客さん、すこぶる待たせたのコトね。
あたち、中国は広島に行てきたアルね。
広島行たあと、北上したのコト。山陰は石見と出雲も行たアル。
何、四国行てから間隔が短い言うアルか。それは厳しのコトね。
我必要夏期強制労働、我欲娯楽間強制労働、
我考娯楽即労働目的一環、願許可我事情!
おお、難しいのコト日本語わからないアル。(じゃ何語だ)
お客さん、許すアル。
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そろそろ飽きてきたので、ニセ中国人には退散頂くとする。
正味なとこ、「中国は広島」が言いたかっただけなので。(何故)
まだ春の終わりごろだったか。東京の友人から、マツダスタジアムいこう!
と話をもちかけられた。夏のクソ忙しい時なので、数秒間迷ったのだが(短)
気づいてみれば、率先してチケットなどめっさ準備していた我、野球オタクである。
準備をしていただけに、天気が心配だった。数日前までは晴予報だったのに、
前日にいきなり予報が雨8割、と変わってしまい。我がヨメの雨女パワーに脱帽。
雨が降りしきる中、大阪を出発。雨乞い、じゃないや晴れ乞いのためお守り持参。
早めについた我々は、東京組たちを待つ間、市内を観光。雨脚は強まる。ああ。
ひたすら路面電車に乗り、テンションを保とうとする。
東京組たち合流。雨女糾弾。私も思わず加勢。夫婦の危機である。
まずは腹ごしらえで、お約束どおりお好み焼きへ。しかし目をつけていた店が、
軒並み満員で入れず。そこいらで済ます。まあ食えたが。リベンジを期す。
(これが後の悲劇の伏線となるとは、この時知る由もなく。)
平和公園へ。長崎原爆の日に広島を訪れることの因果。悲劇に目を背けてはならぬ。
長崎原爆を人類最後の悲劇とするにはどうすれば。核抑止がその答えなのだろうか。
しかしそれはマヤカシの平和ではないのだろうか。人類はそこまで叡智が足りないものか。
原爆ドーム。「破壊の象徴」のように思われるが、よく考えれば、これが
この付近で「残った」数少ない建物のひとつなのだ。そう考えれば見方も変わってくる。
そうこうするうち、雨も上がった。
野球のある平和のありがたさを噛み締めつつ、いざマツダスタジアムへ。
ことのほか良い球場で感動。こぢんまりとしていて、フィールドが非常に近いのがよい。
また、数々のファン視点のサービスに広島の「がんばり」を感じる。実はここは、
某商社が球場内の全てのサービスを統括管理している、というのが特長だそうだが。
他球団も参考にすべきモデルかとも思う。それだけにチームにも頑張ってもらいたいが。
この日は、ちと頑張りすぎであった。お陰で阪神はコテンパンにやられた。
しかしま、試合は二の次で。お天気ももち、この素晴らしい球場を体験できた僥倖を
感謝した夜であった。
(あとでわかったが、同じ頃兵庫県では豪雨で災害が起こっていたとか…
 こっちで降るはずだった雨があっちへ行ったのか、と暗澹たる気分になった。
 亡くなられた方、被害を受けられた方のことを耳にすると、非常に心が痛むものであります。)