「49-1=48」の感動。

夏である。
日本で一番熱くなる場所は、まず甲子園球場である。
そして一番涼しい場所は、塾や予備校の教室であろう。
これは実際の気温の問題ではない。心情的温度の問題である。
しかしその両極端の、一見無関係な場が、一瞬交錯することがある。
こんな話はどうだろうか。
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少年は、見たい高校野球を我慢して、今日も塾の夏期講習に出かけた。
多くの他の少年と同様、少年は教科の中で算数が一番の苦手であった。
今日の授業はその算数。少年は後頭部に照りつける太陽を感じつつ、
駅から塾への道をとぼとぼと歩いた。いつものように。
しかし、その日の授業は、いつもとはいささか様子が異なっていた。
高校野球が始まりましたね、みなさん」と教師は授業の掴みに入った。
「といって、夏は受験の天王山。今は見ている暇はありませんね。残念」
教師は、汗だくの顔をほころばせて言った。クーラーの風がそれに吹き付ける。
「誰がそんなこと決めたんだよ。なんでそんな嬉しそうなんだよ。」
少年は心の中で毒づいた。いつものように。しかし後が違った。
「ませっかく高校野球やってることだし、今日は面白い問題をやってみようか」
少年の曇った瞳の奥が一瞬、輝いた。おお、どんな問題なんだろ。
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夏の高校野球は49代表がトーナメント方式で優勝を争います。
 では全部で試合は何試合あるでしょうか???」
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「こんなん簡単じゃん」。高校野球を幼少から見ていた少年には、苦もない問題に
思えた。決勝1試合足す、準決勝が2試合足す、準々決勝が4試合で。
その前の三回戦がその二倍で8試合だろ、でその前がまた倍の16試合…、
1+2+4+8+16+、、、ん、あら。なかなか難しいな。回りを見ると、
他の少年少女たちも、なにがしか足したり掛けたりしているように思えた。
教師はそれを微笑ましく(ニヤニヤ、ともいう)見ていた。
教師はおもむろにチョークを取り出し、前に馬鹿でかい字でこう書いた。
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「49−1=48  答:48試合」
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何がなんだかわからなくなっている、狐につままれたような少年少女たちに
教師はこう語りかけた。
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「トーナメント試合をすると、必ず一校が負け、甲子園をあとにします。
 そして、最後まで負けなかったただ一校、優勝校だけが残るわけです。
 というわけで、49ひく1で48試合。どう、シンプルでしょ?」
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この時の少年の感動を説明できる文章力を筆者は持たない。
そのあまりの解答のシンプルさとともに、その抒情的ともいえるアイデア
ギンギンに冷えた教室の中ながら、少年の頭の中には、雲が湧き光が溢れ、
そこを秋の予兆を告げる風が吹き抜けた。赤とんぼも舞っていたかもしれない。
あるいは。「掛けたり足したり」だけしか知らなかった頭に、「引くこと」。
その大事さを始めて教えられたという感動もあったのだろうか。
いや、どれもこれも陳腐な表現か。
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あれから二十年だか三十年だかたち、少年は数学者になった。
という話ならば感動的なのだろうが。
少年がなったのは、数学者でなく、野球オタクであった。
というわけで、かつての少年、今のオッサンは、ギンギンに冷えた塾事務所で
今年も休憩がてら、ケータイで高校野球をチェックする毎日なのである。
オッサンよ、あの時の教師のような感動を、生徒に与えることがあるのか。
もう引くことの大事さも恐ろしさも充分知り尽くした、この夏である。
しかし照りつける太陽と、甲子園の暑さは、今も変わらない。
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<本日のお詫び>
ごめんなさい、昔の塾でああいうことを教わった、ていうのは本当ですが、
高校野球のタイミングであったかは定かではないのです。一部脚色、ちうことで。
黙ってたらよかったんだけど、どうもバカ正直というか。言ってしまいます。
ぶち壊しかもしれない。すみません。