四国珍道中其の参「キャンプ初体験物語」。


ここをキャンプ地とする!(つうかキャンプ場)

キャンプ地全景。どうしてこの絵が取れたかは後日詳述。
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人は何故キャンプに惹かれるのか、については面白い考察である。
自然への回帰に対する憧憬だろうか。原始の血に対する刺激だろうか。
いや、自然への回帰を目するならば、原始の足跡を辿らんとするならば、
生身のまま自然に身を置き、自然と身を切り合うがごとく対峙をすべし。
湧き水をすすり、木をこすり合わせて火を起こし、穴を掘って居を構える。
しかしそこまでやるわけではない。意地悪い見方をすればかなり軟弱である。
特に、車でぶぶーっと乗り入れるオートキャンプなど軟弱の極致ではないか。
ともすると道具の有効性(=それを手にできる経済力)の品評会に陥ってしまう。
それはさておき好意的に見れば、自然の一部を切り取り仮想の「借景」に浸る、
いわばガーデニングやら盆栽に似た行為なのかもしれない。それはそれで良哉。
と、ぐだぐだ言ったところで、目の前の現実は片付かない。そう。テントである。
雨は上がったが折からの強風で、はじめてのテント設営は困難を極めた。
はあ、別のテントをおっ立てるのは得意なのにねえ(何言ってんの)
とにかく一人では絶対出来ない作業である。いきおい二人の分担が必要となる。
こいう時、男は理論が先行し「あるべき」を口にし、演繹的に入ってしまう。
とりあえず、頭より手が先に行く帰納女と作業を分け合うには注意が必要である。
こんなこと普段の生活で重々分かっている筈なのだが。こういうサバイバルの場に
身を置くと、そのギャップが普段以上に現れるようで。テントは何とか成功したが、
その後の「火おこし」では、難航と意見の相違にムの方がブーたれてしまい。反省。
しかし、おタスケマンの助力もあり火も何とか点き(男的には屈辱的敗北なのだが)
バーベキューとビールに機嫌は双方持ち直す。途中でゲットした「冷やしトマト」と
「じゃこ天withすだち」が最高であった。常日頃何故だか無駄に持ち歩き、
コロンビアではタイーホ寸前の原因にもなったキャンピングナイフも始めて役立ち。
(初の任務は「串の入ったハコを切る」。次は「トマトを切る」であった。)
メインディッシュもなくなり、日もとっぷり暮れてからは、串刺しのマシュマロを
二人で炙りながら黙々と食した。こいうのって、なんとも至福ではなかろうか、と。
しかし無理矢理にでもテンションあげねば、テントの硬い寝床の苦労が相殺されんね。
ただでさえあまり寝れないところ、明け方には出漁の漁船の音が爆音のように轟く。
キャンプ技術は戦争により進歩したというが、それこそ戦場のような音で。むう。
寝ることを諦め、椅子を出してきて読書に切り替える。海辺で読書。最高の贅沢だ。
つうか、普段も夜中30分も車を走らせれば海につくわけで。やろうと思えばいつでも
できることなのだろうが。何処がどう違うのか、というのは冒頭の問いとも関わるのか。
今回は、出来合いのバーベキュー夕食に、サンドイッチの朝食だったんだけど。
周りは、朝から忙しく様々な工夫をこらして朝食をつくっており。次回リベンジだな。
こういう工夫がキャンプの醍醐味なんだろか。いや朝飯の工夫て普段からやればいいこと…
でもやはりそこがキャンプの…
本日はこれにて、オチることなく、誤魔化すように、解散!
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<本日の言葉>
「変わったところで寝たければ、物置で寝なさい」
                  のび太のママ