インフルエンザ狂奏曲2。

再びこちら、インフルエンザ禍の真っ只中、関西よりお送りします。
全く、こういう緊急時て、ほんま人の心根が現れるな、という話。
あ、ちなみにスペイン語で「話」という語はhistoriaていうそうな。
ちょっと変えるとhisteria(=ヒステリー)だ、とはよくできた話。
先日出勤時、電車でうっかりクシャミをしてしまったわけですわ。
そしたら前に座ってたオサーンが、すごくいやーな目でこっちを見て、
(みんなマスク姿だから、目しかわからない。) で、それから
間髪入れず、ガラガラガラ!!!っと勢いよく電車の窓を開けやがった。
あのなあ。自分が絶対かかりたくない、ちう気持ちはわからんでもないが。
それはお互い様ではないだろうか。その、犯罪者を見るような目が怖い。
自分はマスクをして出勤しているが、うっかり忘れて出勤したヨメによると、
車内の皆が同様にすっごい目で睨んでくる、いうてた。なんか殺伐としてるわ。
まあ、阪急今津線や、いう事情もあんだろけど。いやな世の中になったもんや。
いろんな事情や考えもあんだろし、だいいちマスクが手に入らん人もいるのにな。
ご存知のようにこちらはマスクが全くない。駅でオバハンの会話を
漏れ聞くと「九州の親戚に頼んだんやが、そっちもないらしい・・」だの
「今度の入荷はいついつ・・・」とか、マスクの話ばっかりしている。
古くは「ハレー彗星の接近で空気がなくなる」という話とか、
(わからん人はドラえもんを読め)
新しくは「石油がなくなりトイレ紙がなくなる」という話とか(新しいか?)。
それに似た狂気も思わせる。何年か後に「あれは何だったのか」と振り返る、
そういう事象になるんちゃうかなあ、、、と楽観的な自分は思ってしまうのだが。
ただ逆に、「効果が疑問なので自分はマスクせん」というのも意固地な気がするし。
新聞にある「中高年はかからないというので自分は大丈夫。しない」という意見には、
「自分は見えてるのに自転車のライトを点けるのは無駄」的な無知を感じてしまう。
ただ繰り返しになるが、こういう非常時に人間て試されてるのだと思う。
ネットでマスクを高額で販売している輩がいるというが、そういう奴は地獄行きだろう。
震災の時も水を高額で売ってた奴がいるいうし、人間てほんまにしゃあないな。
自分はといえば、効果と狂騒を疑問に感じつつも、周りを見ながら今日もマスクで出勤。
この日和見主義こそ自分の本質なんかもしれない。なんかいや。しんどい。
今の在庫が切れたら、同じのを何回も使ってしまうのだろか。それ意味ねえな。
でも睨まれないわけで。じゃあ睨む目て、一体なんだという話。
ごめんなさい、なんか話バラバラやけど。これも自分の本質。
あ、最後に、蛇足ながら。ついに首都圏でも女子高生2名が感染、と騒がれているが。
こっちではじめて感染者が出たときはただ「高校生」とあるのみやったのに。
女子高かよてたら、「女子高生」と言わんといかんのやろかやはり。マスコミ的には。
お前「女子高生」言いたいだけちゃうんかと、問い詰めたい気もしないではないが。
え、こだわりすぎ。え、変態。そうですか。これぞ自分の本質なのかもしれませぬ。いやはや。
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<本日の言葉>
「子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る」
                        『論語