B級フェチ回路ON。

私は、野球場に行った時、試合は必ず最後まで見ることにしている。
たとえどんなにつまらなくても。9回終わるまで野球はわからないからだ。
最後のワンナウトをとられるまで、どんなに点差が開いていても逆転できる。
それが野球だからだ。多くの場合そのまま終わってしまい「金と時間返せ」と
思ってしまうのがオチではあるのだが。映画館に行った時も同様である。
たとえ、スクリーンを山刀で滅多切りにしたくなるほどの駄作であっても、だ。
エンドロールが終わり明かりが点くまでが映画。最後の一瞬まで希望は捨てない。
それにしても、今のところひどいのが天地人だ。特に先日の本能寺の回は悲惨だった。
諸所で酷評されているので改めてここで書く必要もないかもだが。ガス抜きを失礼。
見ていて、「しゅあわえいーーーーーん」と脳内で怒りの尺八が鳴る場面が多杉。
新妻(やや古いが)にごはん出されてまた泣く主人公。あのー今戦争状態なんすけどー。
銀シャリの御膳ですか。ほかほかでおいしそうですねー。魚沼産コシヒカリですか。
まあ、あまりうるさいことは言いたくないし、「史実」なんて誰にもわかんないんだし。
事実銀シャリを食ったのかもしれない。『新撰組!』の「香取大明神」的な批判なのかも。
ただ、このただでさえ微妙な空気の今、あえてそれをやるか、という気がする。
創造のためには破壊が必要である。わかっている。しかしここで守るか、というところで
守りに入っているところもあるし。どうせスイートやるなら『スイート三国志』くらいまで
やっちまえばいいのに、と思う。歴史に対するスタンスが定まっていないような気がする。
スタンスという点では、正直、それこそ『志村のバカ殿』の方がしっかりしている。
まあ歴史を舞台にしたヒューマンドラマという考え方もわからんではない。
でもねえ。歴史をとっぱらったヒューマンドラマとしても、あまりにもお粗末だ。
前夫の山下真司も浮かばれんわ。はいからさんのラリサだってもう少し悲しまれたぞ。
あとねえ、長澤様の役どころ。真田幸村の姉だか妹だかで議論になったのは記憶に新しいが。
そんなやったやらないの話はおき、あれはどうか。そんな無理してまで出す必要があるのか。
キリシタンバテレンみたいな服は百歩譲るとして。光秀絞殺未遂!には怒りを通り越してびびった。
真田太平記』の「お江」や、『新・平家物語』の「阿倍麻鳥」など、名の知れた
歴史群像のそばで陰日向に活躍する無名人、という設定は結構好きで、ありだと思う。
しかし、なんで長澤様にはこんなに腹立つんだろうか。なんかこう、うがちすぎかもだが、
「人気アイドルを無理矢理長く出したい」てな意図すら感じさせるのが原因であろうか。
まだあるぞ。つうか、本編中に「天地人」てどういう意味かを、登場人物に説明さすな!
およそ創作ちう創作で、それをやっちゃあおしまい、ていう行為ではないだろうか。
これがほんとの○○○・・・とさむい駄洒落を飛ばすオヤジとかわらんでわないか。
ついに、本能寺がバクハツしたシーンでは、同時に、自分の中の何かも砕け散ったようで。
何故か笑いがこみあげてきた。こうなりゃ行くとこまで行くがよい。そんなに視聴者を
遠ざけたいならそうするがよい。しかし私は最期の一兵まで闘うぞ。見続けてやるぞ。
なんかそんな気になってきた。わが脳内のB級サーチャー、完全にロックオンである。
この、そのうち状態がよくなる、と思いつつ騙され騙され踏みつけられる、
なんともマゾヒスティックなゾクゾク感(やはり変態)。オラ、わくわくしてきたぞ!
俳優はどんな気持ちで演じているのだろうか。スタッフ同士はうまくいっているだろうか。
あるいは視聴率低下に対し、とられる次の秘策は! やめたい!やめれない!大人の事情!
という場外ドラマもふくめ。今後角度を変えて楽しませてもらう。
とりあえず受信料分くらいは。しかし趣味は悪いな。
につけても、好きだった直江兼続のイメージがこれで固定されるんかと思うと、とほほです。
なんやろ、「マイナーやしちょっとくらい冒険しても怒られへんやろ」とかおもったんかな。
いやあ、マイナーな題材ほど思い入れの強い人が多い、ちう恐ろしさを感じてほしかったが。
むしろメジャーな題材だったら、これほどまでに反感を買うこともなかったんでは。
おっと。角度を変えて楽しむんやったか。ぬう…
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「まだ負けとは決まっておらぬ。勝負はこれからじゃ。
 … まだあきらめてはならぬ」


この兼続のセリフ。観た時は一瞬「お前ら自分で言うな!」て思ったわけだが。
今は視聴者も含めた番組関係者全てに対するエールと思っている。
彼ら、そして我々に、今後天は味方するか!