なんと南都の奈良紀行。





(1)萌える早蕨。
(2)なんと大きな平城京。(よく見えないが)
(3)鴬の滝。マイナスイオン10%増量中。
(4)鹿とトイレとおばさん。この左手に…
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奈良県の生んだ野球選手。有名なところでは、門田博光駒田徳広
三浦大輔関本賢太郎鈴木康友南渕時高、、、(私の中で有名、てのも)
イメージとしては、よく言えば、スケールが大きい、雄大である、おおらかな、
悪く言えば、いささか茫洋とした、泥臭い、鈍重な感じがする。そう、ちょうど
奈良の鹿のような感じといえばぴったりくるだろうか。また、関西人の顔の類型として
「奈良顔」というのは、あるような気がする。いずれもこの古都の大地が育んだのだろう。
同じ関西の古都である京都に比べ、懐が大きいというか、飾らないというか、
悪く言うと、土臭いというか。まあ、国宝級の社寺の周りが糞だらけ、というのも
京都では考えられないことだろうし(笑)。京都も好きだが、私はむしろ奈良の方に
どうしても近しいものを感じてしまう。訪れるのは楽しみだ。またそのたびに発見がある。
今回のハイクは、ベタベタではあるが、若草山を目的地に選んだ。小学校の頃、山の前までは
行ったような(証拠写真あり)、しかし登ったか登ってないかはあまり記憶が定かでない。
およそ関西人にとって京都の大文字山とともに、「名前は皆が知っているが登った人は少ない山」
なのかもしれない。しかしことのほか満足であった。眺望は今までに登ったどんな山よりよかった。
そらそうだ。木がないから(笑)。芝の青と、その芝から顔を覗かせる蕨の新芽。そして
それを一心不乱に取る老男女[=老若男女−若](オジンオバン、ともいう)が印象的であった。
頂上の薫風をひとしきり楽しんだ後、春日山をまわりこみ、いわゆる「奈良奥山」というゾーンへ。
「奥山に紅葉踏み分けなく鹿の…」で歌われた場所なのかどうかは、不勉強にして明らかでないが、
なるほど将来の紅葉らしき若葉が、目に鮮やかだった。奈良で紅葉ってあまり聞かんけども・・・
意外と穴場かもしれない。秋にはまた来たい。それまでこのボケた頭が覚えてられるかだが・・・
また、春日山内部は神域にして、立ち入り禁止。手付かずの原生林であるそうな。遠くに見るより
ほかなかったが、それでも、人の手の入っていない面白い植生が見てとれた。
その後は柳生街道から下山。新薬師寺を拝観。有名なBAZARA大将をはじめとする、十二神将像に
目を奪われる。どうでもいいが、この「BAZARA大将」て、売れないメタル系のバンド名にありそう。
え、ふざけた表記するな、と。だって、リーフレットにそう書いてあるんですもの・・・
館内では、「昔はこう彩色されていた」という再現のVTRを流し、その鮮やかな美しさに感動。
ただ、その極彩色の美しさを頭に置きながら見ると、今の「古び」の美しさも一層際立つ気がする。
最後は夕暮れの奈良公園にて。芝の上に大の字に寝、大地と一体、疲れた体を休める。
顔を夕風がなでる。草のにおいが鼻をくすぐる。体の下から優しいエネルギーを感じる。開放感だ。
しかしその開放感は違った人には違ったように作用したのか。ちょっと先のトイレの前の、
鹿が何匹か草食ってるすぐ横のベンチで、乳繰り合う男女。いやあ、たまげたねえ。
いやまさに「合体!」て感じで。どんびきだった。何、表現が汚い。すみません、私にはこう見えた、
ちうことでご容赦。こういうのて、映像的暴力ちうのかね。怒りともなんともつかない、ムラムラっと
した感情が腹から突き上げてくる。いやちっともうらやましいてことないんよ、でもなんやしらん、
もやもやしたもんが、頭から離れないことの苦痛。これを説明できる表現力がないのがもどかしいが。
「うらやまし、いや、いやらしいやつらめ」と、ヨメ相手に帰りの道々文句を散々タレる。
しかしここで前、禅関係の本で読んだひとつの話を思い出し苦笑した。こんな話。
老師と修行僧が水辺を歩いていると、ほとんど裸で溺れかかっている女に出くわした。
二人は夢中で女を救出した。その夜、悩ましい顔で修行僧が、老師の部屋を訪れ言った。
「修行の身で、裸の女性の肌に触れてしまったことは罪深くはないのでしょうか」
老師は大笑いして答えた。「なんだお前はまだあの女性に触れていたのか。ワシはとっくに放してるぞ」
いやはや、男ムーラン36歳。まだまだ修行が足りないところ。まあ、彼らも奈良の懐の大きさに抱かれ
ついついコトにおよんだと(どうしても表現が淫靡)。私もそれに倣い、呵呵大笑して許そうと。
実は私も、許してもらわないといけない罪がありまして。汝許せ、許すは許されんがためなり、だ。
実は、帰りどうしても、「阪神なんば線」に乗りたくて、「乗換少ないよ〜」「梅田通らんでいいよ〜」
と甘言を弄し、ヨメを騙してしまった。「そんなに時間はかわらないよ」「距離的には同じくらいだよ」
すみません。ここに告白します。ワタクシ、嘘をついておりました。奈良とは全く見当違いの
西宮は今津の焼き鳥屋で、ツクネをほおばりつつ、「夜西宮で食事を楽しめるとは思わなかったね」と
無邪気に笑うヨメ。「お、ビールあいてるやん。も一杯いくか」と普段より何割増しかの優しさで接したのは、
ともに楽しい一日を過ごしてもらった労をねぎらうためか。自らのオタク根性に対する贖罪意識か。
それは定かではない。おおそうか。
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<本日の言葉>
「奈良の春日野 青芝に 腰を下ろせば鹿の糞」


吉永小百合似と言われている(何処で)ヨメに、この歌を捧げよう。そして許してもらおう。
そして今日の夕食には、ヨメの好物の黒豆を(おい)。