定額給付金・可決。

迷走の末、結局実現するのですか。
私を含む日本国民が「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」た結果
こうなったわけですから、声高に意義を唱えるのも憚られるわけではありますが。
どうなんでしょか。これ。国会議員等がインタビューで使い道を聞かれているのを見、
なんか知らん、涙がぽろっと出てきましたわ。うまくは説明できない複雑な気持ち。
効果を支持する人々は、マネーサプライズやらマネーサプリメントやらなんやら、
ハイパワーか酵素パワーだかのナントカマネーやら、M1だかM2だかM3だかの専門用語を
並べ立て訳知り顔ではあるが。正直わからん。素人としては(経済学修士の発言とは思えん)
ちなみに昨今のギャル語で「M3」というのは「もうマジ無理」の略だそうな。はは。
あれ、あら「3M」? まどっちでもええわ。
おまえさんだかの、その高尚な理論とやら、ちっともうまく行ってないやん今、という話。
いろいろ思うとこはあるけど、文句は大概もう言い尽くした感があるので、抑え気味に。
なんもせんくらいやったら、なんかしたほうがまし、ということなんでしょか。
選挙と同じで。1万2000円、どう使うかなあ、どうしたら一番みんなにとって有効なんだろか。
つうか、それ考えるのが政府の仕事やろ、なんで俺が考えないかんねん、とも思ったり。
貯金がいかにも悪、のように言われているが、それをうまく運用し増やしてくれてれば、
何ら問題はなかったわけだ。それが根源だろうにそれは棚に上げてねえ…
いかんいかん、抑え気味に、を忘れていた。で使い道、ね。
私が思いつけるのは…
チロルチョコ400個買って配る(消費税分は負担しよう)。
野球を8回くらい観に行く(アルプス席相当)。
缶ビールを55本買う。
一回どっか近場に泊りがけで小旅行。
東京まで飛行機で行く(そして帰ってこれない)
映画に10回ほど行く。
単行本を20冊ほど買う。
大きな声では言えないが…[以下自粛]
ぐらいである。私の足りない頭では。だからねえ、個人レベルで考えるとこうなっちまうのよ。
もっと賢い人がもっと有効利用を考えな。でも「代表者」の言ってることも俺と五十歩百歩だもんな。
個人のエゴの集積がいい結果を生まないのは、歴史が教える教訓ではないだろうか。しかし難しいね。
ヨメとも話していたのだが、もしこれ寄付金としてどっかにぽんっと渡したとしたら、
それはどういうことになるんだろうか。確かに最も必要とする人の下にお金が行く、という
意味ではいいことなのかもしれない。しかしそれは全体の効率としては? またそれ以前に偽善では?
親切と偽善の境界、永遠のテーマである。 寄付も考えるが、この点をクリアできていない。
ま、自分が幸せにならないと周りが幸せにならない、とばかり明るくぱぁっと使うのがひとつ。
あるいは、周りの社寺に10円ずつお賽銭を入れて、日本経済の回復を祈るか。1200回。
今は、そのいずれかで悩んでいる次第。
*****
<本日の言葉>
「人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優っているかも知れぬが、
 智慧は却って猫より劣っているようだ」  猫
                   
                   夏目漱石 『吾輩は猫である』より