R−1。

楽しみにしていたのだが、夕食のロールキャベツと格闘している間に(失敗)
すっかり失念しており、途中から見ることと相成った。
しかし優勝者の中山氏には、うならされた。「変わった笑い」「理解できない笑い」
が横行し、ともすると「面白くないことが面白い」をウリにする人が多い昨今、
久々に見た、正統派の笑いであったような気がする。見た瞬間に優勝を確信した。
やはり笑いは、視点である。そして、間(ま)と表情である。改めて痛感。
大いに参考にさせてもらった(何に参考)。
他に目を惹いたのは、鳥居女史、本を一杯解説した人(名前覚えたれよ)
とCOWCOW氏(氏つけてよいものか)であった。
本を一杯解説した人、の芸中では「サザ工さん、メガネが野球に誘います〜」がツボ。
視点は面白かったが、いわゆる「客を選ぶ芸」で、今後の広がりとしてはどうか。
COWCOW氏は、最後の、作品がばーーっと伸びてゆくところで、
「パッパラパラパラパラパラ、パパパパ、チャチャチャチャーーンチャチャチャーン」
おめでとう〜合格だよう〜〜、というメロディが脳内にこだました。面白かったが、
その意味では素人芸だったのだろうか。(相変わらず偉そうなことを)
鳥居女史は、上の議論からすれば、「理解できない芸」の範疇に入るのだろうが、
あの人には、どこかしら、古代のシャーマンのような凄みを感じさせるものがある。
アメノウズメノミコトの舞に、タヂカラオの力を備えたようなインパクトは、
心の岩戸をこじ開けるものがある、と言えば過言だろうか(過言)
或いは卑弥呼の生まれ変わりのような迫力(卑弥呼と書くとドキドキするのは何故)
賛否両論はあるだろうが、私的には、ありっちゃありだと思う。
そして、よう見ると、ほんまに綺麗やしな。タイプかもしれん、実は(またか)
最後に、古い知り合いと同姓同名の人が出てきて、いろいろ思い出した。
いつのことだか思い出してご覧、あんなことこんなことあったでしょ。
笑いは心の琴線近くに触れるとみえて。面白いが何故かしんみりすることがあったりも、ね。