GNH。

不況不況という文字が新聞を賑わせる。いい加減にしろ、といいたくなるほど。
大企業はリストラを繰り返し、この難局を乗り切ろうとしている。それはわかる。
そして数字的には成功した企業もある。しかし、毎度思ってしまうのだが。そして
こう思うのは、私が本当に青い嘴しか持たない(という歳でもないのだが)からだろうが。
そのようにすることで、守られているものとは、一体何なんだろうか。
ここで頭に浮かぶイメージは、「沖ノ鳥島」である。一応「島」であるとされている
ちっぽけな石の塊。しかしこれが無くなれば途方も無く広い経済水域が消失する。
だから必死で、防波堤でガードし、波を排除し、石を血眼になって守っている、との図。
しかし海が自分のものである、というのは幻想にすぎんのではないだろうか。
勝手に所有する主体を作り、そこに勝手に線を引いたにすぎない。たとえば主体そのものが
無くなってしまったりすれば、守ってること自体に何ら意味はなくなりはしないか。
或いは、海は海のものであり人のものでは決してないはずである。或いは海、それは
迫り来る恐怖でもあるが、見方によれば、無限に広がる大海原なのではないだろうか。
すべきことは、防波堤を築くことではなく、船を造り漕ぎ出してゆくことではないか。
あるいは、「線引き」をする必要がなくなるように努力することではないだろうか。
こんな風なセリフって、やぱり左がかってるんやろうか。いや、右の左の言うてる時では
ないのではないだろうか。あるのは、上か下か、天国か地獄か、なのではないか。
GDPが大幅に減少し、これは一時的な不況で片付けられるものじゃない。
今までの20世紀型のシステムが終わりを迎え、新しいシステムに移行しなければならん、
そういうところまできているのではないか、と。
ここで私の頭をとらえているは、GNHという概念である。もういささか旧聞に値してしまうが。
あらためて、「国民総生産(GNP)」ではなく「国民総幸福(GNH)」でものを考えねば
ならんのでは、と。GNPを増やし、生活を向上させることで、幸福をもたらす。
このモデルは、もうとっくに終わっている、と。それが行き過ぎて、無いニーズを無理矢理
掘り起こし、結果、忙しい人は昼夜なく働き、余裕がなくなり。
そしてついに、自分の新しいニーズちうのも無くなっちまい。てなのが現状ではないだろか。
幸福を先に考え、そこから生産を、ということにはどうしてならんのだろうか。
「現実は厳しい」「現実を見ろ」とせせら笑われるかもしれない。しかし、その「現実」て
なんぼのものなのだろう。人が一人で生まれ一人で死んでいく以上、今前にある「現実」てのは
所詮一人ひとりの脳内にあるもの。「皆が一緒に見ている夢」に過ぎんのではないだろうか。
そして、今の夢が悪夢ならば、いい夢に変えられるならば、変えたほうがいいんじゃないか。
でもじゃあ、実際どうするのか、というとハタと止まってしまう。自分の少ない脳みそでは、
とてもうまい方法を考えられるもんじゃない。ねえ、こんなに世の中偉い人がいっぱいいるのに、
なんとか、うまいこと考えられる人がおらんものか。いやみんなで考えられんものか。
む。あくまで他力本願な自分に気付くが。でもしゃあないやん。やっぱ生活もせなあかんし。
なんで俺がやらないかんねん、というのもある。こういうこと考え出すとまたしんどくなる。
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<本日の言葉>
「なすにまかせよ。きゅうりにはまかせられん。」
と、寒いオヤジギャグで逃げる、寒きこの日。