現代アソパソマソ論考。

えー。
毎度馬鹿馬鹿しいお話で。
すんません。検索により、いたいけな無垢の少年少女が迷い込んで来るといけないので、
あえて2ch的表記にすることをお許し下さい。しかし、それでも来てしまった、
よい子の皆様、そしてよい子をお育てのお父様お母様、或いはアソパソマソの純にして
善良なるファンの皆様。今からでも決して遅くありません。夢を壊すといけない。
以下をお読みになるのは何卒、絶対にお控え下さい。この注意に反し、それでも
お読みになってしまった場合の損害に対する責任を、当日記は負いかねますので悪しからず。
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アソパソマソ。どらエモソ(これは普通表記でええやろ)とともに、すっかり国民的ヒーローに
なった感がある。およそ小さな子で、アソパソマソに心酔する時期を持たない子はいなかろう。
うちの姪御なども、数多のキャラをそろえ、日々楽しんでいる様子。自分の子供時代から存在した
(存在した、というのも変な言い方なのだが)どらエモソならともかく、世代の違いから、
子供とは縁のない私が、アソパソマソに詳しいというのは、本来あり得ないはずだが。
やんごとなき事情で天から200連休くらいの休みを頂戴した時に、毎日見てしまってたことが
原因である。そんなわけで、そこらへんの青二才(つうか子供)には負けぬ知識があるはずだ。
しかし今から考えると、ええオッサンが昼間にテレビでアソパソマソ。なんという図だろう。
いわばその、シュールレアリスムの極致に浸りきってたちうのが半分。
あとの半分は、実際、面白かったから。躍動する無限のキャラに、水戸黄門ばりの、
果てしなきマンネリズム。それが与える仮初の安定感は、安定することのない我が身との
好対照を成していた。あと、それとは矛盾するかもしれないのだが、一見ごくごく普通の、
なんでもない平和な光景が内包する潜在ドラマ。「なんでやねん」というツッコミを決して許さない
緊張感と言おうか。お分かりいただけるだろうか。これはさざえサソ(無理矢理変えてるやろ)も
共通して持っている性質なんだろうが。サザ工と力シオ・ワ力〆の年の差の謎、益荒男が入婿してる
わけでもないのに、何故か嫁の実家にいる不思議さ。それがマンネリの中にあり強烈なスパイスとして
機能していると言っても過言ではなかろう(過言)それこそ、本が一冊書けるくらいの謎が満載。
事情は似てか似ずか、ヨメも異様にアソパソマソに詳しいので、よく話題にのぼるのであるが。
「バ夕]さんて、ヅャムおじさんの女だよな」と言ったら、しばらく口を聞いてくれなくなった。
あるいは、ドキソちゃん、あれはなんやねん。同棲相手につれなく、貢ぎに貢がせた挙句、
他の男に恋狂っているて、どないな状況やねん。そこに直れ、て感じだ(お前何怒ってるねん)
つうかそれ以前に、もう一人の主役である、バイキソマソの目的は何なんだろうか。
世界征服? あれだけの技術があれば、もそっと長中期的に計画を練れば、たやすく達成できそうだが。
「顔が濡れると力が出ない」弱点ははっきりしているわけだから。その弱点を効果的に攻め、
あとは、顔交換にやってくるヅャムおじさんの補給路を断てば勝利は明白。俺、参謀になったろか?
そして世界を半分もらうのだ。むほほ。(←ドラクエⅠでやっちまったクチ。)
いやむしろ。やろうと思えばたやすいが、敢えて能力を隠し、毎回アソパソマソに華をもたせつつ、
馬鹿なふりをしながら、実は着々と野望に近づいているのだとすれば。バイキソ、なかなか侮れない。
とてもそうは見えないのが残念であるが(笑)。
話は突然変わるが。数多くのキャラの中で、幼稚園くらいの子の現在の一番人気は、
食パソマソであるそうな。むむう。微妙な。カレーパソマソ支持の私としては、不倶戴天の仇敵。
「きれい」「かっこいい」からだそうな。これも現代社会のひとつの特徴なんかなあ。なんか浅いな。
と思ってしまうのは、私の根がひねくれているからだろうか。食パソマソになびくのもいいが、
長葱マソの枯山水のような味に気付く、或いは口ールパソナの背負う運命に共感する、
そういう子供の方に魅力を感じるなあ。まそういう深いキャラも多数登場させてるところが、
アソパソマソの魅力ではあるのだろうが。
我が家でも、それに倣って、いろいろな「マン」(元に戻す)キャラをオリジナルで作成している。
そして生活のいろんな場面で登場してもらっている次第。深いというには程遠いのではあるが。
例えば…
「赤マン」   赤い服を着ている。
「さむいマン」 さむいオヤジギャグを放つ。
「ぬくいマン」 布団でぬくぬくと寝るのが得意。
「お風呂入ってないマン」 お風呂に入っていない。
「くさいマン」  「お風呂入ってないマン」の相方。
「あまあまマン」 甘い考えを持つ。あと時々甘える。尼崎出身。
「まあまあマン」 「あまあまマン」の相方。得意技は仲裁。時々板挟みに悩む。
「ちゅーちゅーマン」   いやなんかよう、わからんのだが(嘘つけ)
… 
などなど、である。
強引なまとめだが、あらゆる物が、「マン」を冠することで息吹を与えられ、生き生きと動き出す。
そこにアソパソマソの魅力の粋が秘められているのだろう。それはあたかも、自らアンパンを差し出し、
皆に元気を与えるアソパソマソの姿そのものに被っていくようである。

「イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
 『取って食べよ。これはわたしのからだである』」
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<本日の言葉>
「中身が飛び出て、力が出ない」



餃子や肉まんや、お菓子の中身が飛び出た時。或いは疲れて力が出ないときに使う。
(何で疲れたかは、知らん。) が、何かが間違っている。そして少々グロい。