『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』。

拝啓 
この手紙読んでいるあなたは 
どこで何をしているのだろう
〜〜
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
*****
年末の紅白で、今流行の曲をはじめて聴く。これぞ老化の一環ではないか。
しかし新たに自分の中にインプットされるだけまし、と自負したい。
そのうち「くだらん」の一言で片付けてしまうようになりはしないか。
それぞ名実ともなった頑固オヤジの誕生である。怖い。気をつけねば。
ともかくその聴いた中で、特に自分の心に響いたのが、冒頭の曲である。
素朴なんだが、なんか心に染みる。自分に宛てた手紙、という設定が、
その飾らない歌詞に繋がっているのだろう。あとは、人間誰しも持つ、
人生の意味への疑問、将来への漠然たる恐怖。歌詞にあるそういう主題が
共感を生むのであろう。そしてなんと言っても歌い手が素晴らしく美しい!!
いやはや全くもって、私のタイプである。(お前ほんま何でもええのな)
かくして、先日の『千年恋歌』とともに、私のipodの中では、
「小山村山、黄金の二枚看板」級の活躍ぶりと相成ってる(あんた何歳)
ヨメなんぞも、すっかり気に入り(ヨメは前から知っていたらしいが)
「アンジェラになる」「実家からピアノを持ってきて弾き語る」と言い出す始末。
おいおい、ビジュアルはともかく(世辞)技術面でそう簡単にはいかんぞ。
悔しいので、私も昔取った杵柄を引っ張り出すか。対抗して「さだまさし」になる。
いや、「はかせ太郎」の方が近いか。ともかく、そっちが低周波攻撃ならば、
こっちは超音波攻撃だ。かくして、ム家がこの近所に住めなくなる日も近い。
今ですら大概やのに。
と、まあ、数多くこの曲を聴いているうちに触発され、そいえば自分も昔、
将来の自分に宛てて手紙を書いたなあ、と思い出した。一度ここで紹介したことが
あるかもしれないが、性懲りも無く、あらためて取り上げるとする。
「21世紀の自分に手紙を書こう」とかなんとかいう、小学校の時の企画で、
これは本当に、忘れた頃の21世紀になって、ある日突然届いた。その時の衝撃と
脱力感と、何か甘酸っぱいような気持ちは忘れられない。こんなである。
本当は恐ろしく下手糞な字で書きなぐっているのだが、活字にしても充分笑える。
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「21世紀!! 自らへの手紙」 ‘1984’
ムーランルージュ[本当は本名](12)がムーランルージュ(28)に出した手紙である。
やあ、元気ィ。ぼかぁ、今小学6年のもんだ。あんたは28だな。
ヨメさんおるか。いまどこに住んでんねん。職業はなんや、
しゅみは、・・・と問うてもきりないからやめる。
―さて、いまムーラン市[本当は実際の市]では主要道はムーランデカンショ
[本当は実際の道路名]のみだけど、もう10本ほどできてるやろうな。
それから、きみ(自分)は、身長、体重ともにど[修正液]れくらいあるのか〜〜〜
ぼくはいま、144.3cm 38.4kgだ[31と書きかけてぐちゃぐちゃっと修正]
ちょっとふとりぎみ。もし結こんしてるんだったらヨ[修正液]メさんと、独[修正液]
身だったらひとりさびしく、この資料を聞いてちょうだい見てちょうだい
[同級生との集合写真〜一番端に半分写っている] 1984年9月30日9:00頃 ○△小校庭にて
<‘1984’の物価>
ノート…120円ぐらい  えんぴつ1ダース…360円ぐらい
電車代…ムーラン駅[実際は…てもうええか]⇔西北 90円(小)
バス代…○○台⇔ムーラン駅 100円(小)
パソコン(MZ-2000)…89800円 ボールペン…60円ぐらい
参考[者、と書いて修正液で消したまま](でっかいの)…1500円ぐらい
[修正液で消したまま]づかい…600円 自動車…150万円ぐらい マンガ…360円
<‘1984’重大事件>
グリコ・森永事件…グリコ・森永せいひんに青さんそーだーをいれて、
         1おくえんようきゅうした
京都・大阪連続殺人事件…○○[本当は実名]が京都でけいさつからピストルをうばい
            殺害したうえ、大阪にいってサラ金会社から1億円ごうだつした。
特急富士飲酒運転事故…△△[本当は実名]機関士が、さけのんでとっきゅうを運転して、
           ××駅の[本当は実際の駅]ホームにげきとつした
[以下、おそろしく大きな字で]
「はばたこう 21世紀に向かって」
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とまあ、苦笑することしきりだが。
まあなんと、アンジェラさんとの違いよ。まず歌にはならんわな(苦笑)
いろいろツッコミどころは満載だが。まずなあ、「ぼかぁ」はないなあ。加山雄三かお前は。
また、後半は、ただスペースを埋めにかかったな、という態度がありあり。今同様、姑息である。
そして全体的に、それが年上にものを言う態度か、と説教も垂れたくなってしまうが。
で、グリコ森永のあたりは、明らかに「かい人」を意識している。このなんか、半分ちゃらけて
しかもおもんないあたりが、あまりにもイタい。てゆうかこれ、今と全然かわらんやんけ。
まあ、これは、28の自分に宛てたものだから返事は28の自分に任せるとして。
今の36の自分は、12の自分にわかったふうに説教垂れている28の自分を、思い浮かべるにとどめる。
藻前ら両方とも、これからいろんな天国といろんな地獄をみることになるが。まそれが
全部あっての自分やしな。二人とも、人生なめんな。でも、二人とも頑張れ、みたいな。
そう思いながら、両者を生温かい目で見守るとしようか、と。
しかしこう思っているところをまた、遠くから見ている50、60の自分も、いるとすればいるんだろう。
その目が温かいのか、生温かいのか、はたまた冷たいのかはわからんが。見てることは確かだろう。
それぞれ12、28、36、と。50、60と。立場はそれぞれ違うんだろうが。根底に流れるのは
この手紙に象徴される、いちびった、なんかバラバラにいろんなこと考えてる自分、なのだろう。
まいろいろあんだろが、脈絡なくとも、締めがよかったらええやん。この手紙のようにな(笑)
つうか、この文脈でどうやって「はばたく」のか。その謎を解くのが我が人生の意味なのかも。
最後に。一番感動したのは、MZ-2000の値段がわかったことだ。懐かしい。
ついこないだ偶然この話をしてたので。その偶然にびびってしまった。
世の中に偶然なんてないのかもしれない。ひょっとしたら。
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<本日の言葉>
今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうなときは
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている