『藤井康雄の突破力』。

藤井康雄の突破力―ミスター・ブルーウェーブ

藤井康雄の突破力―ミスター・ブルーウェーブ

忘れないうちに、書きましたがな(笑)。
あれは時代が昭和から平成に変わって間もないことであった。
1989年のプロ野球パ・リーグは、「青の旋風」で幕を開けた。
前年度、電撃的に誕生した新球団オリックス・ブレーブス
「伝統の赤」を一変し、鮮やかな青に身を纏った選手たちには新しい息吹を感じた。
松永・福良・ブーマー・門田・石嶺・藤井… 前々から評判の高かった打線に、
九州に移ることを拒んだ門田が加わり、破壊力は増した。パの好投手を悉く粉砕した。
その猛打線は、いつしか「ブルーサンダー打線」と呼ばれるようになった。
前年最終戦まで縺れる死闘を演じた、西武・近鉄の両雄。それも何するものぞ。
新生オリックスは走りに走った。一時は二位近鉄に対して8ゲームの差をつけた。
西武に至っては10ゲーム以上も置き去りにした。夏まではまさに最強を誇った。
(どこかで似たような話を聞いたような気がするが。はて、どこかしら)
夏以降は、やや弱点であった投手のもろさが露呈。ベテラン揃いの打線の疲れもあった。
戦力の整った西武近鉄の追い上げもあって、ペナント争いは三つ巴の様相を呈してきた。
おそらく、その頃のことだったと思う。正確には覚えていないがまた調べねば。
ムはもともと阪神ファンだったが、当時は、あまりにもウダツのあがらぬ亭主に
すっかり愛想を尽かし、パ・リーグに「浮気」をしていた。事実、この頃のパは面白かった。
で、阪急オタクにそそのかされ、もとい、彼のありがたい誘いを受けて、西宮球場を訪れた。
ペナントは佳境。相手は西武。球場は本当に本当に珍しく(失礼)、立錐の余地もないほど。
その中には、ムの如く、ぶつけようのない野球欲をこの地に昇華させにきたニワカファン、
それも多かったに違いない。その多くは虎党だろう。これが後の悲劇か喜劇かを生むこととなる。
試合は先発たしかホフマンが早々に打ち込まれ、ワンサイド気味に進行する。
優勝争いの緊張を求めて来たファンには「金返せ」的な、殺伐とした空気が漂い始める。
スコアは忘れてしまったが、おそらく10ウン点差はついていたと思う。そして詳細は忘れたが、
石毛がレフトに放った、どでかいホームランと、その後の黄色い声援は記憶に残っている。
おそらく二発くらい打った気がする。オリックス弱体投手陣はこっぱ微塵となった。
その何年か後に、石毛がオリックス監督となり、投手陣いやさチームを別の意味でこっぱ微塵とした。
そんことはその当時知る由もない。がそれは別の話。
話はまたよれるが、当時の西武はイケメン揃いの(当時そんな言葉はなかった。あ「トレンディ」ね)
最強軍団。同学年の婦女子にも「工藤さぁん」「渡辺さぁん」「秋山さぁん」とほざく輩が多く。
(言葉に棘があるな) 阪急オタクと結託して「ええっ、工藤と山沖がトレードやて!!」と
寸劇にて虚報を流し、婦女子を混乱に陥れたのもよい思い出である。(趣味は悪いな)
その、レフトスタンドの黄色い声援も、ライト側のフラストレーションを高めたのであろう。
そして始まった。点差が開きヤケクソになったライトスタンド。ニワカの多いファン連中。
その前に、ライトを守る藤井がいた。一塁後方くらいで見る我々にはその一部始終が見えた。
ライトを守る藤井。すなわち西武の攻撃中である。敵の攻撃中の声援はご法度だが、それも構わず。
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「ふ・じ・い! ふ・じ・い!」
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試合進行と全く関係なく、「藤井コール」が球場にこだましはじめのだ。
はじめは「さざ波」のように。そしてそれはライト側全体を包み込む「大波」となった。
その後、このチームは「ブルーウェーブ」と改称されるようになるわけだが。
そんなことはやはり当時知る由もない。
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「ふ・じ・い! ふ・じ・い! ふ・じ・い! ふ・じ・い!」
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記憶違いかもしれないが、藤井は確かに、困ったように手を挙げ応えたような気もする。
そんで「いえええええーーーーい」となり一瞬静まるも、またしつこく始まる。
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「ふ・じ・い! ふ・じ・い! ふ・じ・い! ふ・じ・い!」
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オリックスの攻撃に移り、ほかの打者が打つ時も、全部「かっとばせー、藤井」である。
こういうしつこさと、途方もない馬鹿さ。関西人(そして虎党)ならではだろう。
私はこういうの嫌いではないし、その当時は面白かったが、今から考えると
選手やコアなファンはたまったものではなかったろう。
オリックス応援団の青白い顔の青年が、悲痛に叫んでいた。
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「藤井だけが選手ではありません! みなさんちゃんと応援しましょう!」
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て、おお、これが言いたいがために、えらく苦労したわ。
その声も、次第にボルテージをあげる「藤井コール」にかき消された。
その時、「何かが終わった」のであろう。その後も三つ巴の死闘は続いたが、
オリックスは前年の雪辱に燃える近鉄の軍門に、最後は下ることとなる。
その両チームが、またその何年か後に合併するとは。それまた当時知る由もない。
・・・
・・・
今にして思うのは、何故「ふじい」だったのか、ということである。
たまたま目の前のライトにいたから、ということもあろうが、やはり、若き主砲への期待。
そして馬鹿馬鹿しい暴挙に、愛想ながら応える人柄。それが自然と声援(?)に繋がった。
そう思うのだが、どうだろう。西宮球場や藤井の話が出る度、私はこの日を思い出す。
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・・・
で、件の本である。
その後、藤井はチームを二度の優勝に導いた後、惜しまれつつ引退。コーチの職に就く。
それが、突然、スカウトへの転向を命じられる。その場面からこの本ははじまる。
一時はプロ野球優勝チームの四番を張った男が、45歳にして社会人一年生となる。
ペットボトルの茶片手に新幹線の普通車で移動。「安い駐車場を探せ」と叱られる。
領収書の計算に、指一本でしか動かせないパソコンに、と苦労を重ねる。
常人ならば、腐ってしまうところではないだろうか。しかし、やはりそこは天性の人柄。
慣れない仕事に前向きに精一杯、取り組んでいこうという姿は読者の胸を打つ。
オタク的には、裏方の仕事に少しでも迫れたこと。球界の裏事情がちょっとわかったこと。
それもあるが。小林(晋哉)、谷村、熊野、古屋、酒井(勉)、安達、中島輝士、別府…
プロ野球で少なからず名を上げた(私にとっては)群像が、今別世界で頑張っている。
それがわかったのが非常に嬉しかった。で、自分もがんばらななー、と、と。
この、谷村、熊野、酒井、あたりの話を前したんちゃうかな、と思い出し青くなる。
すまん、君が言ってた本かもな。ならほんま申しわけなく。(つうか、どんな話をしているのだ)
野球ファンならずとも、どんな仕事をするにしろ、必要なものを、この本は、藤井は、教えてくれる。
今こそ、本当の意味での「藤井コール」を送りたい。
そしてそれは全ての仕事に悩む人へのコールになるだろう。
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<本日の言葉>

「プロ21年目で違うことを…いい年をして…という感じもあるんですけどね。
 知らないことを覚えるってことは、自分にとってプラスになることですからね。
 今はおどおどしている感じですけど、1年経った後には『藤井もしっかりした』
 と言われたいですね。」
                     藤井 康雄