『破戒』

破戒 (新潮文庫)

破戒 (新潮文庫)

みなさん、先日の国語のテストを返します。
なんとまあ、惨憺たる出来でした。先生は非常に悲しく思います。
受験を前にして、こんなことでは先が思いやられます。心してください。
ム君。「萩原朔太郎の代表詩集は…」、『月に吠えろ』とは何事ですか。
「なんじゃあこりゃあああ」と先生は思いました。冗談抜きで。
テレビの見すぎです。受験生がテレビ見ている場合ですか。違うでしょう。
ウ君。「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。」の訳ですが。
「冬は勤めがつらい。雪が降ってたら言うまでもなくつらい。」なるほど。
世の新聞奨学生の心情吐露ですねなるほど。わかります。てちがいますよ。
それから「この文章の作者は…」、「清少 納言」てちとおかしくないですか。
それは「やしきた かじん」とか「やしきたか じん」て言ってるようなもんですよ。
それから最後にラン君。「島崎藤村…これに読み仮名をつけ代表作を挙げよ」。ふふ。
「しまざきふじむら。破壊。」ははは、笑っちゃうねえ。て笑ってる場合ですか。
笑ってる場合ですよー  藤村といえば藤村富美男ですね。先生は好きでした。
栄光の背番号10。我が虎軍は永久に不滅です! 輝く我が名ぞ阪神タイガース
オウオウオウ、フレフレフレフレ…(先生破壊)

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つい前置きが長くなった。毎度ながら失礼。
これまた「題名は知っているが読んだことのない本」のひとつで。
破戒。戒めを破る。はあ、なんだろう。内容がどんなものか、見当すらつかなかった。
今でこそ、夏の避暑に冬のスキーにと明るいリゾート地のイメージのある中部地方だが。
冬の雪雲の如く、重たい灰色の歴史があった。いやそれは今も一部そうなのかも知れない。
今回の飛騨行きを前に、是非、そういう部分を知っておきたかったのである。
別に『あヽ野麦峠』でも『楢山節考』でもよかったのだが。なんとなくこの本を手に取った。
いやはや。ずしりと重たかった。重たいんだけど、その重たさに一緒につれて行かれてしまう。
そういうのと。それから。本当に「知ること」自体、その重みにつぶされそうなテーマなのだが。
「見ろ、しっかり目を開けて見ろ、」と言われているような、そういう気がした。
しかし、ほんまにいろんな意味で難しい本である。よっぽど自分のスタンスをしっかりと
保っておかねば、「ああ、そうなのかそれは知らなかった」と余計そういうものを自分の中に
植えつけてしまう危険性も孕んでいて。て、奥歯にものの挟まった言い方で申し訳ない。
ネタバレ回避で書くには限界があるな。とにかく、人間の愚かな歴史ではある。
それを繰り返すか、新たな地平へと踏み出して行くのかは、我々次第である。
光あるところに影がある。影があるところに光がある。衝撃のクライマックスと、感動のラスト。
私は風呂の中でひとり涙してしまった(風呂で読むな)
以下、ネタバレ部分です。






















いわゆる「改訂本」との比較解説が興味深かった。
文学と人権の問題については、筒井康隆の断筆の例を引くまでもなく、難しいものがある。
しかしなあ、人権の問題の方は上にも述べたが、やはり我々がどれだけ賢明かにかかっているんじゃ。
「原本」の「一文目から破戒してるやん」という突っ込みも改訂本では薄れてしまうからねえ。
あと、クライマックスとラストの扱いが、「結局自己を乗り越えられなかった」とか「逃避という解決」
とかこきおろされていたが、そうかなあ。私には、全てを背負って十字架にかかったキリストの如き「強さ」
それから、ラストで向かう先は、「逃避」ではなく、「人間の新しい地平」のような気がするのであるが。
ともかく、クライマックスからラストにかけての光明を体感するには、前半の真っ暗闇に耐えねばならぬ。
人生にも実に示唆的である。人生観を変えられた本、と言ってもいいかもしれない。て何回変わってるねん俺。
しかし、その真っ暗闇がいわれのない不当なものなら、また話は別だが。
最後に、蛇足だが、「牛の解体シーン」は、飛騨からの帰りのバスの中で出てきた。
飛騨牛を食いすぎたため、こういうのも理解しろ、ということだったのか。それにしても複雑だった。

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<本日の言葉>

「温かい家庭の内に育って、それほど生活の方の苦痛も知らずに済む人もあれば、
 又、貴方のように、若い時から艱難して、その風波にもまれているなかで、
 自然と性質を鍛える人もある。まあ、貴方なんぞは、苦んで、闘って、それで女になるように
 生まれて来たんですなあ。そういう人はそういう人で、他の知らない悲しい日も有るかわりに、
 また他の知らない楽しい日も有るだろうと思うんです」

                             「破戒」より