多元世界解釈。

職場の後輩が自転車で怪我したらしく、現場は結構混乱している。
もともと、昔の基準ならばびっくりする程の頻度、そしてびっくりする程の理由で
穴をあける子で。悪い子じゃないんだが。まあこれもご時勢、ってことかと考えていた。
しかし最近ようやっと落ち着いてきてくれたと、思った矢先の出来事であった。
幸い命に至るものではなくその点はよかったが。不自由は続きそう。本人も周りも、だ。
ところで、この話が本日の主題なのではなく。これは前フリである。
昨日久しぶりにお成りあそばされたボスが、彼を心配して皆に下問されていた。その時。
「ねえ、Moulinさんも昔バイクで… あの時はびっくりしたわねえ…」
びっくりしたのはこちらである。そんな本人も忘れているようなことを。
ボスが覚えていてくれていたとは。ある意味感動である。
自分が一週間前言ったことを忘れてらっしゃることもあるのに(あっ)
あれは本当にラッキーだったとしか言いようがない。正確に何年前かも忘れてしまったが。
今の職場にバイトで入っていた頃、ひとしきり「アフター」を楽しんだ帰り道。雨の深夜。
あれはスローモーションのように覚えている。いや、忘れていたんだったか(汗)
スローモーションのように思い出した、というのが正確。
右カーブの出口にある信号で右折で待ってて、信号が変わりそうだと発進準備した時。
一瞬、右のミラーに、白いワゴン車が映ったのに気付いた。
うわー、速ええなー、とぼんやり思っていたが、その像がどんどん大きくなっていく。
ちょ、ちょ、と思ったのと、右ミラーの像が真っ白になったのがほぼ同時であった。
おケツから持ち上げられるような衝撃。あと、路面にたたきつけられる。
対向車のライトの前を横切り、路面を滑る。フルフェイスのヘルがきしむ。
反対側の路肩は空き地みたいなとこで、そこに放り出され何回か転がって止まった。
全てが一瞬の出来事であった。その後、ワゴンから出てきた運転手の青年(少年?)は、
頭を抱えてしゃがんで泣いていた。奇跡的にかすり傷ひとつしなかった私は、
よろよろそれに近づいていって、「僕は大丈夫やから、でも、いろいろ連絡とかせなな。
やってもたもんはしゃあないけど、今からちゃんとしょ、な」と励ましなんだか、
よくわからん言葉をかけた。なんか変だ。つうか、救助活動しにこいや、とも思ったが。
まあ、自分が逆の立場ならば動転して、やっぱこうなってまうんやろうな。と今にして思う。
数多のひき逃げ事件が新聞を騒がせている昨今を見ると、逃げないだけまし、だったのか。
警察に電話した後、自分の実家に電話した(丑三つ時)。警察より実家のが怖かった。
御袋は、オロオロ出てきたが。親父はよっぽど怒ってたのか、布団から出てこなかった。
案の定、他日、親父に目玉が蕩けるほど怒られた。「お前がフラフラしとるからや!」と。
全く、ごもっともで。しかしそれで夜遊び癖が治ることのなかった、救い様のない放蕩息子。
確かにぶつけられたのはアンラッキーだったが、いろんなラッキーが重なったのだろう。
あとでくしゃくしゃにつぶれたバイクを見ると、ぞっとした。生きているのが不思議である。
信号が変わる直前かで、対向車が来る前だったこと。フルフェイスのヘルをかぶっていたこと。
雨で濡れた路面と、濡れた雨合羽が、うまいぐあいにスキーやスケート的に作用したこと。
反対側の路面に、ガードレール、電柱、建物等、何もなかったこと、などなど。
挙げればキリがない。よくよく考えるに、ほんまに奇跡と言えるのではないか。実に不思議だ。
今考える、このことの解釈はいろいろあるけど。
まずは、ここで死んでも全然おかしくなかったのに生きているってのは。この世に何か
やり残したことがあるからではないか。自分は「生かされた」のではないか、と。
こう考えると、自ら死にたいなどというのは、非常に贅沢なことである。それまでも、
そしてそれからも時々つい思ってしまっていたが。そして死にたいとかいうときは、こういう
「奇跡」のことは頭からなくなってしまうもんでなあ… 実際昨日まで忘れてたし。
いやむしろ、「俺はもう既に死んでいる」のではないかと。北斗の拳風に言うと。
いやそれは冗談としても。最新の宇宙論によると、宇宙は一つではなく、無数の宇宙が
同時に存在している。そして今の瞬間の宇宙から、また無数の宇宙が枝分かれしていく、
というそうな。SFで言うところの、パラレルワールドってやつだろうか。よくわからんが。
つまり、あそこで私が死んだ世界、私が重傷を負った世界、私が軽症を負った世界
てゆうのもそれはそれである、と。その中で、私が無傷だった世界に今私はいるのだ、と。
それは偶然そうなったのか、自ら選んでそうなったのか、或いは誰かが選んでくれているのか。
それは定かではないが。そう考えると、世界が違ったように見えてくるのではないか、と。
これ昔書いたと思うのだが、あー、あれは誰だったっけ?松尾スズキモブ・ノリオか忘れたが。
(キャラかぶってるな) 同じ感じのことをテレビで言ったような気がするが。詳細は忘れたが。
シャケ弁かノリ弁か、どっちを選ぶかですごく迷う。そしてノリ弁を選んだ瞬間に、その実は
「シャケ弁を選んでいたらこうなっていたであろう世界」が別に始まるのである。
そういう世界に思いを馳せながらノリ弁を食べると、またノリ弁の味も変わってくる。
で、そういう「別の世界」をいくつ持っているかが、人生の深み、てやつではないか、云々と。
バイト君の話から思わず、宇宙や時空や人生論まで話は広がってしまったが。
この話を病床の彼に是非とも届けたい。が、ここがバレるのもいやなので、さてはて。
どうしようか。とりあえずノリ弁食って考えるとする(違)
ちなみに、パラレルワールドを超えて伝わる唯一の力は、重力だそうな。
もちろんそれは物理的な重力なんだろが。精神的な重力もそれを超えられそうである。
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本日の言葉:

万有引力とは 
 ひき合う孤独の力である
 
 宇宙はひずんでいる 
 それ故みんなは求め合う
 
 宇宙はどんどん膨らんでゆく 
 それ故みんなは不安である」
 
            谷川 俊太郎 『二十億光年の孤独』より
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きまった… と悦に入っていたが。
重力と引力て、同じなんでしょうか? いまいち自信がないんですが。
誰かお救い…