『育自』。

先日の日曜日は、友人H(Hな友人ではないので念のため、て蛇足)一家と友人N夫妻を我が家に御招きし会合。
楽しいひと時を過ごす。楽しさと代償に、翌日ひどい宿酔を催す。私は夜の仕事だからダメージは軽かったが、
朝から仕事の友人H、必死で勉強中の友人Nの身を案ずるものである。つうかホスト飲み過ぎやろ。
あ、他の皆様、、順番があとさきになってしまい恐縮ですが、またの機会を設けまして必ず、、、
ただ友人Hには引越しの件で骨を折ってもらった義理がありますゆえ。あと友人Nの壮行会でもありまして。
何卒ご容赦のほど。て、こんな言い訳するくらいなら書かなければいいのだが、約束は約束ゆえ(詳細後述)。
妊婦さんお二人に、小さなお子さんまでに、「地獄坂」を上がらせ、冬はチェーンが必要かもしれないような
冷涼たる「チベット高原」くんだりまでお呼びしたのは、非常に気を使ったが。実は気を使ってへなんだな。
やはり経験がないぶん、気を使うポイントがわからない。お子は夜になると泣きがちになる、とか。
カフェイン・アルコール・その他食品、どこまで妊婦さんには許容されるのか。あとお子の食べられるもの、
食べられないもの… 自分にはない視点が多々あったとわかり勉強になった。そして至らぬ点、何卒ご容赦。
オタク談義を楽しみつつも、絶妙のタイミングで、交代しつつお子さんの面倒をみる友人H。
バカ笑いしつつも、甲斐甲斐しく新妻に気を使う友人Nを見、ああ、同じバカオタクやと思っていたが(失礼)
こいつらは立派な父親なんや、と痛感した気がする。自分のなかでは、結構革命的な発見だった。
友人N夫人、友人H夫人(アクセントに非常に注意を要する、てこれも蛇足)、にうちのヨメも含めて、
三人にとり、いい情報交換の場になったのも非常によかったのかとも思うが、そんな中。
おそらく「進行形の未知」の不安でいっぱいであろう、友人N夫人に、「過去形の未知」である友人H夫人が
アドバイスを送っていたのが印象的であった。特に「『育児』は『育自』だから。そう思うと不安が和らぐよ」
(だったっけ、詳細状況が・・・ なんせ酔いどれてて・・・ まこと失礼・・・)
てのは、「未来系の未知」「仮定法の未知」である自分らにとっても、意味深い言葉であったのかもしれない。
友人H夫人さ〜〜ん(何度も失礼)、見てますか〜〜〜、遅くなって済みません、約束どおり書きましたぜよ。
会うと二言目には「子供は?」と聞いてくる人、「夫婦は子供がいてなんぼ」と説教たれてくる人には正直
嫌悪感を持っていた。弟に子供ができた時は、祝福の気持ちが大半だったと言いたいが、正直、
ケンシロウが伝承者に決まった時のジャギ的狼狽」がなかったとは言い切れない。
おいお前、おれの名を言ってみろ。てなんだそら。
しかしいうても、子供がないのは、「子供はいらない、これが我々のスタイル」と反発してのことでもない。
子供が嫌いなわけでもない。さりながら、作りたくて作りたくてもどうしてもできなかったわけでもない。
ま、なりゆきでなんか7年たってしまった。で、気持ちも穏やかになった。なってしまったというべきかしらんけど。
もっとも、さすがにもう「子供は?」と言われることもなくなってきたが。
タイミングが… 状況が… ヨメの仕事が… と多々、イクスキューズ(てゆうのも変だが)はあるんだろうが。
そんなんは、どうにでも調整がついたはずである。根幹は、正直いうと、私自身が私を認められていないところだろう。
こんなやつの子孫を残してどうなる、と。あとは、のしかかるであろう責任からの逃避もあるだろう。
しかしま、育児は育自。子供とともに成長していけばいいではないか。その言葉は、わが頑なな心を
溶かしつつあるのかもしれない。あ、いてもいいんじゃないかなと、すとんと心におさまってきたような気がする。
だからといって、さあ、頑張るぞ、さあさあほれほれ、てのでもない。(昼間に読んでる方ほんま失礼)
ま、未来の世界にいる子供の方が「親父、まだ早いんじゃね?」と時期を選んでるんではないのか、と。
出てきたくなったら、そのうち我々を操って(なんか嫌やけど)、自分で出てくるんじゃないか、と。
それで、子供の方に認められず、出ない!と結論づけられたとして、それは仕方がないんじゃないか、と。
なんかで呼んだ話だが、これまた出産の不安にかられる妊婦に向け、年長者がこういう金言を与えたらしい。
「柿が熟してぽろっと枝からとれるようなもんだがら・・」 と。
こちらの言葉を、私から友人N夫人に送ろうと思う。そして自分らに向けても。
とにかくぽろっととれる時期を待ちますわ。それまで、自分を育てつつ待つとします。そしてそれからも。
どや、うまくまとまったやろ、こんなもんでどうでしょうか。
(これを言わなかったらもっとよかったか)
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本日の言葉:
「人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶのです」
              (ドラマ「トゥルー・コーリング」より)
もじって、
「親が子供を選ぶのではなく、子供が親を選ぶのです」