合成樹脂今昔物語。

恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

ビニル袋に入るだけのビールを詰め込み、家に続く通称「殺人坂」を上がる。
昨今何かと目の敵にされるビニル袋だが、エコバッグを常に肌身離さずもつような
まめさを持ち合わせていない自分は、やはりビニル袋のお世話にならざるを得ない。
エコバッグが環境保護に果たして寄与しているのか、というのはそれはまた重要な議論だが。
それはともかく、我が脳内は、晩酌のひととき。そして無事持ち帰れるのか、それだけで。
案の定、最初から危うかった持ち手がちぎれ、坂に落ちそうになる缶を奇跡的に抱き止める。
メタボ警報を日々発するヨメに「そんなに欲張って買うからよ…」と小言を言われるは必定。
ビニル袋を下から抱きかかえ、ビールの冷たさを腕に感じつつ、つぶやく。
昔、華やかりしき昭和。「女と靴下は強くなった」と言われた。
今、寒風吹く平成のこの世。「男とビニル袋は弱くなった」のだなあ。ひしひし。
坂の上から、犬が怪訝そうに見つめる。毎日坂を行き来する人を見る犬の目には、
この世はどう映ってるのだろうか。「怪しい」「怪しくない」「ごはんくれる」「ごはんくれない」
それだけなのか。果たして。それは、今の人間が同士を見る見方とも変わらんような気がするが。
ま、この日の私が怪しく見えたことだけは事実のようで。しかしこの犬はかわいい。それも別の話だが。
すっかり話がヨレてしまった。毎度ながら失礼。
怪しいと言えば、時々自分でも怪しくなるのだが、自分は一応、男である。
だから男のことは人並み以上には(これもへんな言い方だが)わかっているつもりである。
そして女はあくまで外部世界、でしかない。地球人が60億人いたとして、単純に30億人は女がいるはずだが、
(単純に割り切れない人もいるだろうが、てしつこい) 30ウン年生きてきて、三次元世界で(これも微妙)
知った女は(妙な含蓄はない。文字通りの意味、ててめえ括弧書き大杉やぞ) 数えられる範囲だろう。
しかも、わかりあえないままにすれ違うだけの人もま、いろいろ。まいろいろでは片付けられんが、
それもまた別の話で(お前別の話も大杉) というわけで、ま要するにサンプルが少なすぎるのだ。
いうても、「千人斬り」とかイキまいてる人も30億分の千やから、えと、なんぼや?(数字に弱い)
だから所詮、私にとって、いやさ全ての男にとって、女は観念の世界でしかないのかも知れない。
でいきおい二次元の旅に出てしまうわけで。じゃなかった、冒頭のような本に手が伸びるわけで。
しかしなあ、この手の本は、ほんまビニル本買うのと同等に恥ずかしいのだが。よう買ったわ。
てビニル本など買ったことはないからわからないが。て嘘付け。てもう括弧書きはやめたぞ。
身内の恥をさらすようで恐縮だが、こういうのにどうしても手が出てしまった時期があったわけで。
てビニル本じゃないですよ。冒頭の本。てわかってるいうねんね。
そりゃあ夫婦いうても所詮は他人ですから。わからなくなることもあらあな。
まず、違うんだという認識。どう違うか、という理解。そっからどうすりあわせていけばいいか、
てゆう戦術がはじまる。ま、もともと自分の足りないものを補ってくれるための存在ではあるし。
こっちも向こうの足りない部分を補うこともできるのやし。ま、楽しいし、それだけの価値はあろう。
学生時代、化学が赤点だった私が、付け焼刃で調べただけのを言うのも恐縮至極なのだが。
ポリエチレンは、炭素二個(エチレン)が、たくさん集まったもの(ポリ)であるという。
それが、いろんな堅さになったり、いろんな形になったり、いろんな用途でつかわれたり。
熱くなったら形がかわりやすくなり、冷えたら固まる、ちうのもなんか示唆的なのだが。
て、私はこの話をいったいどこに持って行きたいのだ。
今日は、結局何かというと、ビニル本の話やな(おい)
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つうか、冒頭の本の論評をするんやった。
すんません。もう面倒くさくなったので、読みたい人は読んで下さい。
…ではあまりに無責任なので簡単に。
「男脳」「女脳」という二種類の脳があって、それはお互い違うもんだ、というありがちな議論。
今更…と思いつつ読み進めた。筆者の語り口調に「おおそうか」となることもあるが(どんなんや)
それはさておき、印象深く頷ける議論もあった。私なりの理解をかいつまんで言うと。
「女は『あなたの気持ちがわからない』と言うが、もともと男に『気持ち』などない。毎日帰ってくる、
 その行為自体が最大限の誠意である」とか
「男にとって、会議は目的への手段であるが、女にとっては会議こそ目的で目的は手段である」とか
「男にとって社会は、もともと無だったアイデンティティを形成する場。
 女にとって社会は、地球より大きなアイデンティティを削り落としていく場」とか。
反面、その一般化はないやろう、と反論したくなる部分もあった。
「男は一生好き、と定義したらそれは一生有効だと思っている。女は一日一日、一瞬一瞬での
 確認・更新が必要なのだ」とか。たぶんうちの喧嘩の原因は逆であることが多いかと。
「男は空間に生きているので、Aでは○が好き、Bでは△が好き、というのが同時に可能なのだ。
 女は空間に生きていないのでそれは、、、」というのも。そーかなー。具体的なケースが
あるわけじゃないのでコメントは差し控えたい。て誤解を招く表現はやめよう(事実なんもない)
ま、何回か言ったことがあるが、私は、女性的部分を多分に持っていると思うので
例外的な反感を持ってしまうのかもしれないが。しかしめっちゃ男男なところもある。
逆に、ヨメさんも、世間様から見れば、男性的に見えがちなのだろうが(読まれたら八つ裂きやな)
どうしようもなく女女なとこもあるので、ま、バランスとしては丁度いいのだろう。
て、このヨレヨレ話がなによりの証拠。
私にとって日記は目的で、目的は手段であるようで。キリがないのでこのへんで。
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忘れてた。最後に、この本にあった面白い話。
「あなたは夫と恋人と三人でタイタニックに乗っています。沈没しそうです。
 生きるか死ぬかの瀬戸際に命を預けるのは、夫と恋人、どっち?」
と言われると、既婚女性の大半が「夫」と答えるそう。なんだかんだで生かしてくれそうだ、とか。
「あなたは妻と恋人と三人でタイタニックに乗っています。沈没しそうです。
 救命ボートに一人しか乗せられないなら乗せるのは、妻と恋人、どっち?」
と逆に既婚男性に聞くと、これも大半が「妻」と答えるそうな。
妻にあとのことは任せ、自分は恋人と抱き合い海に沈んでゆく…と。なんだかなあ。
ちなみに、二人助けられるなら、男は間違いなく「女二人を乗せる」と言うそうな。
本当かしら、ま、女のほうは、助かる二人のうち残りの一人はともかく、一人は絶対自分。
そう思っている、とかとか。書いてあるが。あなたは同意します? 興味はつきないが。
てか配偶者と恋人が別人て前提がどうも。
え?お前はどうするのか?ですか?(聞いてないって)どんなに格好いいこと言ったところで、
私は婚前旅行?でヨメとカリブ海に行って、泳いでた時、小さなサメらしきものが出てきて。
(あの魚が何だったかは未だに議論する。その後の一生言われるだろうイタい話と共に。)
ヨメをおいて泳いで逃げた前科があるので。何も言う資格はないのだが。
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本日は、ほんまぐだぐだですんません。
あ、いつもか。
つうか、冒頭の題と話おうてへんやんけ。
合成樹脂と、男と女。ううむ。あ、あった。があまりにしょうもないことを思いつく自分に愕然。
ま、0.1ミリ離れる愛も愛ってこった。て何がいいたいんだか。