Seven Years After.

きっかけは、なんのことはなかった。
日曜に、職場の後輩の現役学生さんたちと飲んでて、話に花が咲き。
昔の自分に会ってみたくなったのである。火曜の休みに電車に飛び乗る。
電車はターミナルに着いた。そこからバスに揺られ市街地を北上する。
同じく平日の午前中、麻雀明けで半死半生の状態で同じバスに
揺られていた自分。下宿で寝に帰るために。その姿が去来する。てか学校池。
ま、ほんまに半分死んでるようなもんだった。苦笑する。
今周りは観光客と修学旅行生でごった返している。ガイドを手に
車窓を楽しんでいる。あの当時自分は、ただ自分と眠気があるだけだった。
バスはやはり、下宿最寄バス停の手前の、営業所で停車した。乗務員交代だ。
もう時効だと思うから言ってしまうが、たまにこの乗務員交代の時、
「車両交換しますので前のバスに乗り換えて下さい」となることがあった。
ほんまに100円200円に困っていた当時は、たまにそのまま「フェイドアウト
し、2駅分くらいを歩いて帰っていた。「○○車庫マジックちゃうん!」とか
嬉しそうに周囲に語っていた当時の自分。おいおい、それは犯罪ちゃうんか、と。
つうか、先日の日曜日も嬉々として話をしてしまった。いかんいかん反省反省。
だらだらっとした坂道を登る。昔と建物の様子が微妙にかわっているところもあるし。
全く変わっていないところもある。最新鋭のマンション。隣には商品までそのままぽい老舗。
変わったようで変わっていない。変わっていないようで変わっている。人間もそれに似て、だ。
隣の旧家があったところは、真新しい資料館ぽいものに変わっていた。へええ。
ひとしきり感動したあと、その隣に、全く変わっていないボロアパートがあった。うひゃー。
なんだろ、この感覚。懐かしさと恥ずかしさと、嬉しさと悲しさと、ごった混ぜの甘酢煮感覚。
しかし、卒業後何回かこの場所には来ているが、来るたび毎に甘い感じの方が強くなる気がする。
その後、歩いて5分もかからないところにある寺院へ。紅葉の名所として知る人ぞ知る所だ。
完全な紅葉にはちと早かったが、まだ残る緑が妙なるコントラストを為し、それもまたよし。
ここを訪れること既に数回になるが、やはりというか、近くに住んでいた時は一度も来なかった。
「永遠不変の真理」を表すという名を持つ名寺を枕に、ひたすら寝ていた青春。
まったく、こんなに歴史あふれた名所に囲まれ住んでたのに、一体何やってたんだか。
今の自分が当時の自分ともし変われるのであれば、毎日がウハウハなはずである。あは。
さらに歩を少し戻し、今度は北上し、友人が絶賛していたラーメン屋へ。友人カップル(死語)が、
「今度食べる時は涙が止まらないだろうね」と語りあっていたという思い出の地である。
冒頭の現役学生さんも、「あそこははずせない」と強調していた。これは行かねばならんだろう、と。
友人の聖地を汚してしまった感があるのはいささか恐縮ではあるが、彼ら二人と、自分と、
そして昔の自分と。四人でカウンターに向かっている感覚になった。(勝手に登場させてすまん)
ヨメさんは…? 最近「メタボメタボ!」と鳴く鳥と化している故、今回は少しご遠慮頂こうか(笑)
旧友と一献傾けたくなり、思わず餃子に瓶ビールまで頼んでしまった(平日の昼間やぞ)。
感想は。ひとことで言うと「真面目なラーメン」という感じだ。異様に爽やかな店主(ほんまに)
の人柄がよく現れている気がした。私がこの近辺にいた時この店があったかはわからないが。
あったとすればほんま惜しいことをした。しかし、当時不真面目だった私は、真面目な味、つうのが
おそらく全くわからなかっただろうから、今出会ったちうことで。それでいいのかもしれない。
さらに歩をすすめて北上に北上を重ね、かつて夜中に徘徊したバッティングセンター前を通過し、
紅葉観光らしきインド人風の婦人に道を聞かれ。今度は西に向かい。今度は水路沿いの道を南西へ。
この水路沿いの道は、数々の学者がものを考えて歩いたて有名な道の延長線の道なのだが。
今はすっかり観光地化されてる「本家」よりも、静かにものを考えるには適しているかもしれない。
「自己がなくなることで同時にそこから自己が生まれる」とか。
「我々は常に瞬間にしか生きておらず、無数の瞬間同士に本来一貫性はない」とか。
いろんな想念が浮かんでは消える。このうちどれが「本家」から生まれたのかもわからないのが惜しい。
そしてその想念の旅の終点は、やはり、30ウン年の人生のうち、前半は「最も行きたい場所」であり
次に「いるけどいない場所」となり、その後「最も行きたくない場所」になってしまった、この場所。
ここしかなかった。ここも他の場所と変わらず、大幅に変わった部分もあり、全く変わらない部分もあった。
変わったのは、ここを他の場所と変わらず見ている自分だ。ということに気付いた。
もう死ぬほど恋焦がれて心臓が高鳴ることもない。
もう誰に会うかとビビッて心臓が高鳴ることもない。(おい) 
ただの場所。それだけである。ここも卒業後何回か来たが、こういう感覚ははじめてだった。
ここで一度は終わった人生、ここから始めねば、変わらなければ、という気負い。
前回前々回くらいは、それだった。それもまだないではないが、
今はま、それもそれで大事やけど、今も今で大事やしな、と大きく構えられている。
今ある自分をベースに、少しずつマイナーチェンジを重ねられれば、それでよいのではないか。と。
それが自分にとっても社会にとっても良い方に動けば、それはそれでいいことである、くらいで。
変わる、何かやる、と壮語しても結局、なにひとつできてへんわけやし。
ひとつのことができへん人は、何もできへん。とりあえずは今やってることを一生懸命やる。
それしかないやろ。
思えば当日記を書き始めたころてのは、「人生の意味がわかった!」「自分の人生は自分で変える!」
とかイキまいていたわけだが。「わかったわかった」て強調している時点で全然わかってないんかも。
意味は向こうからやってくるのだ。事実、自分の存在自体が意味ではないのか。それがわかった。
て、こう書いている時点で、またパラドキシカルなわけではあるが。おおそうか。
ともかく、現在過去未来を違った目で見れば生き易い、ちうことなのだろうか。
それとも、今易く生きてるから違った目で見れるのか。それはもうちょっと生きて見ないとわからん。
確実なのは、それだけ年をとった、ちうことなのだろう。
「時間の風が恋のキズを白く染めて 甘く優しく変える」
「失くした時は決して二度と戻らないの だからいちばん光る」
「この青い空の下で 抱きしめたい あの日の全部を 強く」
帰りの電車の車窓を眺めつつ、脳内にBGMが流れた。
つうか、アラフォー世代にしか通用せえへんやろ、こんなん言っても。
他、突っ込みが二つある。
冒頭にはSevenとあるが、正直何年かわからない。お前Seven Years Afterて言いたいだけちゃうんかと小一…
次に、帰りはわざわざ遠回りして、最近できた新線に乗り。甘美なBGMをバックにちゃっかり部活動を。
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本日の言葉:
「柳は緑 花は紅 真面目(しんめんもく)」 蘇軾