My Revolution 〜明日を乱すことさ。

先日ラジオを聴いてて。
あ、当日記でラジオを聴いてて、て場合は、十中八九、
「おはようパーソなんとか… なんたらかんたらです」を指すのであるが。
いや、こっちきてやや早起きになったのと、前半戦調子良かった(何が)のとで、
すっかり習慣づいてしまった。自分で情報を取りにいかねばならない、インターネット
とは違い、こういう「垂れ流しメディア」は、思いがけない情報との出会いがあり、
なかなか面白い。また、どっちかちうと、私はFM人間というよりAM人間であるし。
この人間分類法についても、また書くことはあろうが、それは次の機会として。
で、先日ラジオを聴いてて。永六輔氏の話が紹介されていた。
氏は、たまたま同時に、島倉千代子さんのスタッフと、小室哲哉氏のスタッフに、
作詞を頼まれたんだとか。で、島倉側は、こういうコンセプトで、ターゲットはこうで、
曲はこんな感じで、歌手の能力とイメージがこうで、故に歌詞はこんな感じで、
と綿密かつ具体的なプランを練った上での依頼だった、と。昔ながらの仕事であった。
一方小室側には、いきなり、女の子の写真を一杯飾った部屋に通され、永さんご覧になって、
この娘だって娘がいますか? どうぞその子に合わせて、自由に書いてください、
曲は後でどうとでもなりますから、と話され仰天したとか。ここまで音楽はかわったかと。
永氏は、結局、両方に失礼になってはいけないからと両方断られたらしい。
この点、永氏の人間性がよく現れているとは思うが、それはまた別の話で。
小室氏は、たしかに天才であった。それは動かしようのない事実だと私は思う。
あ、皆、氏をつけているのに、ひとりだけつけないのはバランスが悪いと思うので、
今回はこの呼び名で行くとする。容疑者、てうれしがって書くのもどうかと思うし。
しかし、なんか、今の過熱報道も、どうかと思うなあ。時代の寵児の凋落!というのは
確かにセンセーショナルだけど。結局人間、他人の不幸が一番おもろいんやなあ、
自分もそんなとこがあるかもなあ、と人間不信と自己嫌悪、ないまぜな気持ちになる。
いかん、どうも話がよれてしまう。で、小室氏は確かに天才であった、と。
作詞はともかく、作曲に関しては、名曲を沢山残していると思う。
そして、現代技術と芸能界のシステムを生かし、音楽とアイドルを誰にでも親しめるもの
にした、その功績はやはりあると思う(思い切り美化しているかもしれんが)
ただ、自分が変えた時代に、結局自分が苦しめられた、というのが今回の結果だろうか。
ま、本人の人間性の問題もあるだろうが、特に女性関係においては。つうのは、
どうしても同性からみて厳しくなってしまうが。
ラジオのパーソなんとか(ややこしい書き方すな)は、「確かに時代の寵児だったかも。
しかし、日本人の心に残った曲が一曲とてあっただろうか、私は残ってない」と結んだ。
ただ、この点は反論させてもらうと、私の心には、結構沢山残っている。
ま、結構ちゃらい曲が好きだったのもあるが。いろんなフレーズが去来する。
ただ、いろいろ思い出すと、結構示唆的なのがいっぱいあるな、と今回感じた。
「壊れる壊されてゆく 幼い時代の魔法が」 なんてそのままだろし。
「チープなスリルに身をまかせても 明日におびえていたよ」 てのも。ああ可哀相ね。
「全然暇にならずに時代が追いかけてくる 走ることから逃げたくなってる」から
「時には起こせよムーブメント」いうても、あんなムーブメントはやばいやろ。
「“Revolution”ノートに書き留めた言葉 明日をさえぎる壁のり越えてゆくこと」、脱獄です。
「Can you celebrate?」 できん。
「左利きも慣れたし 風邪も治った」 おおそうか。
恋しさとせつなさと心強さと」 貧しさとひもじさと娑婆恋しさと。
「Let me know … what to do tonight?」 布団被って寝なさい。
「アイム・プラウド壊れそうで崩れそうな情熱を繫ぎ止める何かいつも探しつづけていた」のが
「なんだかわかったー」 てあんた、別の人がわかってもしゃあないですやん…
最後の方は、いつもの悪のりがすぎ、ちと反省しているが。
今回の一番勉強になったのは、改革には痛みが伴うということ、栄枯盛衰は世の倣いであること。
そして、小室哲哉小室みつ子は別人、ということだ(今までヨメさんと信じて疑ってなかった)。