勝って嬉しい、はないちもんめ。

別にラミレスの本塁打云々、ちうわけではない。
前半に特に意味はない(じゃ書くな)、今日は「はないちもんめ」の話。
今日は巷では休日らしいですな。うちの職場は休日関係なくこき使・・
もとい、休日関係なく仕事があるので、今日も出勤なのだが、どうも巷が休日だと、
自分も休日のような錯覚に陥る。どうもぼーっとしてしまって。いかんいかん。
で、近所の子供が、近くで遊んでいる声が聞こえる。うちの近所は、子供が
世代を超えて一緒に外で遊んでいる様子で、今時珍しくほほえましい光景が見られる。
古きよき昭和、が残ってる。子供を育てるとすれば、育てやすそうな環境ではある。
育てるとすれば、やが。てま、それはまた別の話だが。
近所の子供。仕事が立て込んでいる時は、いらっと来る時もあるのだが。
幸い今日の自分は休日モードである。ゆったりと子供を観察している(仕事は?)
手をつないだチーム同士が向かい合って足を振り上げ…

勝って嬉しい、はないちもんめ
負けて悔しい、はないちもんめ(←よりハイテンション)
タンス長持、どの子がほしい
どこの子じゃわからん
あの子がほしい
あの子じゃわからん
相談しましょ そうしましょ
::::
○○ちゃんが欲しい
××ちゃんが欲しい
いんじゃんほい



これがエンドレスで繰り広げられる。仕事が立て込んでいる時の私のイラつきが
想像頂けようか(苦笑) ま、今日はゆったり、ゆったり。
地方によって歌詞は違おうが、大体、プロセスはいっしょだろうか。
自分も幼少の頃やってたような。或いは長じて酔っ払ってやった記憶もおぼろげにある。
しかし、あらためて進行を見ていると… ゲームには、目的と戦術が不可欠であるはずだ。
野球にしろサッカーにしろ、囲碁将棋にしろ、トランプにしろ、果ては鬼ごっこにしろ。
果たして、はないちもんめは最終目標は何で、どういう戦術があるのか。よくわからない。
彼らの目指すものは何か。「相談」はその目標に至る最善の道を探るための相談じゃないのか。
つうか、はないちもんめの終わりってどうなんだっけ? 記憶では、最後どっちかが
ひとりになったら終わりだったけ? そう考えると、「最後のひとりにならない喜び」
がこのゲームの根幹にあるのだろか。だとすると、少し怖い気がするが。
どっちかというと、名前が呼ばれなかった方の者とすれば(苦笑)、正直複雑である。
ああ、今日こそフィナーレを見たかったのだが、今日もぐだぐだで終わってしまった。
少し調べてみると、花=女の子、一匁=銀の重さ(貨幣単位)ということで、
人買いが花街に連れて行く女の子を決める場面が、根底にあるという説もあるとか。
あくまで一説に過ぎないが、もしこれが正しいとすると、ノリノリのテンションで
足を振り上げる子供たちの姿が、また違ったように見えてきてしまう。
相談しましょ、そうしましょ、でなされている相談にも、薄ら寒いものを覚える。
また、選ばれないのが実は幸せなんだったり? でもお金にならんから都合悪いんか。
ううむ、と考え込んでしまう。無邪気というのは、時としてすごい暗黒を抱えてるんでは、と。
いや、明るいとか暗いとか、そいうのを超越した次元にあるもんなんか、とも。むむむ。
あかんわ、考えている間に仕事せな。
ま、またの機会に観察しよ。
つうか、めちゃ怪しいオッサンと思われているんやろなあ…