SF珍道中7「君の名は」。






マネー・ボール (RHブックス・プラス)

マネー・ボール (RHブックス・プラス)

(1)この橋から出なければ安全…だそう。
(2)過去の栄光。
(3)お食事タイム。隣の飲み物についてのツッコミはやはり禁ずる。
(4)閑散としたスタンド。
(5)プレーボール!バッターは岩村
(6)課題図書。
*****
オークランド・レイダースアメリカンフットボールのチーム)の監督が、自信のチームを作った。
 しかし、唯一足りないのは、いいクォーターバックであった。全米中を探したが見つからない!
 そんなある日何気なく監督は、CNNでアフガニスタンの戦場の様子をニュースで見ていた。
 そこに映し出されていたのは、百発百中で敵に手榴弾を投げまくる、若き戦士の姿であった。
 『こいつだ!』 監督は八方手を尽くして、戦士をアメリカにつれて来、フットボールを教えた。
 戦士は大選手となり、その活躍で、オークランド・レイダースはスーパーボールで優勝した。
 試合のあと、戦士は母親に電話を掛けた。『ママ、スーパーボールで優勝したよ。』
 『全然連絡もしないで今頃何よ。話もしたくない。あなたは私の息子じゃないわ。』
 『ちょっと待ってよママ、僕は世界最大のスポーツイベントで優勝したんだよ。』
 『いいこと、あなたが今まで何してたんだか知らないけど、こっちは大変なんだから。
  銃声は毎日聞こえるし、周りは瓦礫の山。先週あなたの弟が死んだし今週は妹が暴行された』
 母親は間をおいて、涙ながらに言った。
 『あなたを許さない。それもこれも全部オークランドに来たからよ。』」
*****
笑えないジョークで恐縮だが、こういうジョークが作られるほど、オークランドの悪名は高い。
念のため。このオークランドは、有名な観光地であるニュージーランドオークランドではない。
湾を挟んでSFの対岸にある工業都市である。橋や地下鉄によりSFからの移動は容易である。
移動は容易であるが、ガイド等では、扱いが小さい。行く人がいるという想定がないみたい。
悪名はわかっていた。わかってはいたが、リスクを冒してでも、どうしても行きたかった。
繰り返しになるが、自らの冒険心を誇っているというわけではない。全くの蛮勇でしかない。
ただ、それなりの覚悟はあった。死ぬほど野球が好き、とは言うが比喩ではなくそう思う。
「ムーラン?ああ、あの野球観に行って死んだアホやろ?」というのもま、私らしいかなと。
唱歌Take Me Out to the Ball Gameに途中、I don't care if I ever get back…
(=帰れなくたってかまわないよ)という一節があるのだが、洒落にならんがな。
言うても、やはり帰りたいぞ。何度も書いたが、宿は、このナイター帰りを最優先して選んだ。
終電時間も調べ、一日目と二日目の晩も、酔っ払いながらさりげなく夜の治安をチェックしてた。
とはいえ、それは湾のこちらSF側のことでしかない。向こう側のことは全くわからない。
バート(高速地下鉄)のチケットチャージも早めにした。安全な経路も調べた。
ひとつのミスが命取りになるかもしれない。言わば「痺れるテンション」を感じていた。
そして。
バートは海底トンネルを通り地上に出てきた。「オウ、カリフォルニア!」というSFの雰囲気は
全くなくなり。港のクレーンや工場、トラックプールが目立つ車窓風景になってきた。
鉄条網が張り巡らされた土地が多く、壁には何やら分からない図形や文字が書きなぐられている。
ひとことで言えば、殺風景、である。しかし、私はこういう雰囲気も嫌いではない。
自身ブルーカラーの経験もあるし、ある意味懐かしさも感じさせる光景ではある。あるいは、
これぞ、華やかなアメリカを支えている、縁の下のアメリカ。見ておきたかった風景とも言える。
と言いつつ、手にはじっとり汗が滲んでいる。わからない、というのはやはり恐怖である。
コロシアム&オークランド空港駅に到着。
球場は、徒歩5分くらいだろか。下調べで読んだサイトで「この橋から出なければ安全だろう」
と書いてあった長い橋を渡る。早めに行って治安の様子を調べなければ、と思ったのと、
打撃練習から見なければ、というのでアホみたいに早く着いた。人は少ない。
しばらく球場周囲を巡り、売店を冷やかしたり、歴史を語るモニュメントを見たりして過ごす。
オークランド・アスレチックス。面白いチームである。
ここオークランドに移転してきた1970年代は、新制度であったDH制の流れにうまく乗り、
ワールドシリーズ三連覇と黄金期を築く。80年代には、かのマット・キーオ(誰)も活躍した。
80年代後半には、打のカンセコ、マグワイヤ、走のヘンダーソン、投のスチュワート、エカーズリー
等々、綺羅星の如きタレントを揃え、復活Vを果たす。特に絶対的抑えのエカーズリーは圧巻。
丁度BSが自宅に導入されたことも重なり、私を大リーグオタクに引きずり込んだチームである。
90年代は低迷するが、今ミレニアムに入ると、敏腕GMビリー・ビーンの計算尽くされた戦略により
4年連続地区優勝を果たす。「低コストでいかに勝つか」という彼の理論は、かの有名な
マネーボール」という本にまとめられている。野球というゲームをとことん科学的に分析し、
セイバーメトリックスと言われる統計学的手法を導入したアスレチックス・モデルは、野球のみならず
全てのスポーツいや全てのビジネスにも通じる経営革命である、と偉そうなこと言っているが
私はまだこの本、読めていない。野球オタク必読書やのに。早急に果たすべき宿題である。
しかしここにきて、そのビリー・ビーンの神通力も弱まってきたと見えて、昨年は低迷。
今年も、苦しい戦いである。スタンドは閑古鳥。またコスト削減の影響だろうか、球場はオンボロ。
70〜80年代には時代の最先端を行っていたのであろう、その時代で時間が止まっている。
場内に入った瞬間、「ボールパーク」という感じのジャイアンツ球場との違いを痛感する。
なんだろこの感じ、甲子園ともまた全然違うな。今はなき西宮球場にすごくすごく近い感じだな。
「新しいボロさ」「華やかな寂しさ」という感じが。と言っても共感していただける方が、
今どれくらいいるかはわからない。阪急オタクなら涙を流しながら頷くだろうが(苦笑)
マカフィー・コロシアム。
この球場、野球オタクの私は嫌いではない。が、所謂「メジャーの雰囲気」という面ではどうか。
素人にはおすすめできない。「野球場は殺伐としているべき」とのたまうツワモノならば別だが。
腹ごしらえもすませ(タイヌードル&「はるさめ」は消化。神経使ったのでブドウ糖を大量消費)
バックネット裏の最高席に陣取る。これでもジャイアンツ球場の半額以下である。
「需要と供給で価格が決定される」という経済学の初歩の初歩を痛感。
後ろの方で日本語が聞こえる。息子と父親だ。「わー近いねー」「な、いい席だっていったじゃん」
岩村さんに、サインもらえるかなー」「あー、あっちいるんじゃない、行って頼んでみな」
か、関東人や、というだけで恐れをなしてしまい、声はかけられなかった小心関西人ムであった。
たぶんここまで車で安全にきたんだろうが。彼らはこの球場を楽しめるのだろうか。不安がよぎる。
そいえば母親の声が聞こえないが。確認はできなかったが。日本の女の人にはきつい環境かも。
プレーボールが近づき、席がわりと埋まってきた。右隣は、白人のお父さんに黒人の子供達、という
不思議な取り合わせの家族だった。施設の関係?あるいはお手伝いさんの子供?といろいろ推理。
しかし、いわゆるadoptionかしら(=養子縁組)、とも。アメリカでは結構あることらしいし。
話は全然ヨレるが。
ずっと前、職場の女ボスにひとり呼び出しを食らった。何の話だと思ってビビった。
「ムーラン君。私思うんだけど…」
知ってる人は知ってるように、この台詞が出た場合、すごいことを思っていることが多い。
「あなたがた、なかなかbabyが難しいんだったら、adoptionてこともありだと思うのよー」
と。腰をぬかすくらいビビった。いや、ご心配はもっともですが、私どもはまだそういう…
とその場はやり過ごしたが。いやはや、心配してくださるのは有難いが、驚かされる(笑)。
いや、笑ってる場合ちゃうんやがな。しかしまたそれは別の話で。
マカフィー・コロシアムに戻る。いよいよ試合が始まった。
今季絶好調のタンパベイ・レイズが相手。一番の岩村がバッターボックスに入る。
ア軍の先発はゴンザレス、聞いたことない投手である。前述したように、私は帰りが気になっていた。
いやー、ヘボそうな投手やな。打ち合いになるかな。長引いたら困るなあ、と不安に。
しかも投球練習から見るにつけ、球威のあまりない軟投派だ。これはいかん。どないしましょ。
ところが意に反し、ゴンザレスは上々の立ち上がり。相手はエース、カズミアだ。名の知れた好投手。
一回が何事もなく終わりかけていたその時。
空席だった左隣の何席かに、いきなり、ドヤドヤッと入ってきたのは、いかにもティーンていう感じの、
パツキンアーパー女子連四人組であった。いや彼女たちのパツキン(=金髪)は本物ではあるが。
これがまたうるさいうるさい。「私のクロスビー、こっち向いてー」「ゴンザレスー、若くていいわー」
果ては、「ヘイー、バットボーイ!(ボールを審判に渡す少年)私はここよー」とかちょっかいをかける。
また「○○ー(その人の名誉のために書かない)、あなたはこっち向かなくていいわー」とか。ひどすぎ。
二回にはご執心のクロスビーのツーランが飛び出す。彼女達の興奮は最高潮。ここでは書けない台詞も出る。
右隣の黒人のボクは、怪訝そうに見つめる。これは教育上悪いよ。よし、ここは教育的指導だ、
おい、てめえら、あの、しかし、その、くそう、発育だけよくて(余計)頭はからっぽ、云々。
脳内シュミレーションしていたその時、「すみません、そこは私の席なんですけど…」
迫力ある黒人の老夫婦が入ってきた。夫人の方が、アーパーに食ってかかっている。アーパーはどうやら
本当はもっと後ろの席らしいのに、適当に座りに来たらしく。黒人女性に咎められ。しぶしぶ退散。
しかし、離れたところにまた入りに行きやがった。本当に仕方がない。黒人女性は溜息をつき座る。
会話を漏れ聞いていたが、この老夫婦は、ほんとにコアなファンと見えて、若きゴンザレスの力投や
細かいカバープレーなどを絶賛していた。まわりを見ると、ほんまディープそうな層が多い。
スコアをつけてるじいさんとか。「・・・!」(書けません)と気の利いた野次を飛ばすオッサンとか。
ファンは去ったが、残ったファンは本当に野球を愛している。アーパー女子も少しやんちゃなだけで、
野球が好きなことにはかわりない。球団は、移転も視野にいれてるらしいが、この人たちはどうなるのか。
試合はゴンザレスとカズミアの投げ合いで淡々と進む。先日「野球運」という話をしたが、
試合的には平凡だが、「速く進んでくれてる」という点では私にはやはり運があるのか。
「クロース、ソー、クロース」隣の老婦人が何度も頷く、そんな時、私はトイレに立ちたくなった。
当然荷物は席に放置できない。指定席でもあるし、荷物をまとめて行くことにする。
「もう帰るの、こんなにいい試合なのに」 ここで始めて老婦人に話しかけられた。
「いや、すぐ戻りますよ」 私は答えた。
「早く帰らないと終わっちゃうよ」 彼女は冗談めかして返答した。
戻ってから、いろいろ会話がはずんだ。日本からきたこと。大リーグが好きなこと。
オリンピックの情報。サンフランシスコに止まってること。巡った観光地、などなど。
しかし、突っ込んだこと、深いことを話したいと思うと語学の壁に阻まれる。もどかしい。
仕事は何してるの?教師?え?何の?英語?(笑)?じゃーもっと練習しなくちゃね。
全くごもっとも。非常にへこむが、ま、仕方ない。この旅行で十分わかった。
で、しばらくして向こうから「名前は?」と聞いてきた、彼女はあまりに難解な私の名前を、
何度も口で転がしていた、そして返した
「私は××××です、ナイストゥーミーチュー」。
・・・ 
自分の聞き取り能力のなさの悲しさよ。私はこれが聞き取れなかった。
しかし、もっといけないのは、見栄というかなんというか。聞こえたふりをしてしまったことだ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という。聞きかえすタイミングを全く逃してしまった。
試合は七回から八回と進み、老婦人とも何回か会話するが、そのことで頭がいっぱいとなり。
全く他のことに注意ができなくなった。そんな中、球場カメラマンが回ってきた。観光地によくある
「記念写真を撮らせて頂きました。欲しけりゃ○○円です」的なもの。それがもっと進化し、
写真はネットにアップするから欲しければ買ってください、という寸法だった。周りは老夫婦も
養子親子も撮られていたが、私はひとり映るのも恥ずかしく、カメラマンもそれをわかってるようで、
私はスルーされた。それを黒人女性は呼び止めた。「彼も撮ってあげてよ」
いい、いい、というところを無理矢理撮られた。「いいお土産になるわよ」 
私にとっては、今旅行で初めての、自分が映った写真、となった。本当に有難い限り。
こんな素晴らしい出会い。しかし私はその人の名前すら知らない。そして自分と相手に嘘をついている。
これじゃいけない。このままでは、この旅行は終りや。それどころか一生後悔する。ここで聞かな。
そう思いつつ時は流れた。試合はア軍リードのまま9回に入りかけた。
9回は盛り上がって会話どころでないだろう。ここしかない!
「すみません、マダム。私は恥ずかしくて言えませんでした。あなたの名前が実は聞き取れませんでした。
 それなのに今まで何も言えませんでした。私を許してください。お名前をもう一度お聞かせ下さい」
こんな心臓バクバクしたのは、プロポーズした時に次ぐ。(以上だと書いたら、やばかろう(笑))
怪訝そうだった夫人は、途中から豪快に笑った。
「もちろんよ。ルイス・オルティス(ゆっくり)です、あなたは・・・なんだったっけ?」
後半が、ほんまなのか、それとも、夫人のやさしさから出た台詞なのかはわからない。
ルイス・オルティス、その世界に何万人もいるであろう名前(だから書いた)を私は一生忘れないだろう。
忘却とは、忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ(意味分からん)
聞いてよかった。自分の中で何かが変わった瞬間だった。
ほどなくしてゲームセット。2−1。クロスビーのツーランが結局きいた。
5回1失点のゴンザレス投手は、天晴れのメジャー初勝利。これはあとで知ったことだが。
ア軍勝利の歓喜は、自分に対する歓喜と重なった。
ご主人とは話ができなかった。それだけが心残りだが。
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件の写真はここにあります。筆者のトボケタ顔も映っております。
私を知ってる方はわかると思いますが、知らない方は超イケメソな顔をお探し下さい。
ttp://www.printroom.com/ViewGallery.asp?userid=Athletics&gallery_id=1221299
(何、つながらない? キーワードは、「やらしい男性の考え」だ)
夢を壊したくない人は見ないほうがいいかもしんない。
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試合後、「帰るまでが遠足ですよ」をこれほど痛感したことはない。
バートの車内では、背後を取られないように、荷物は前抱えで、細心な注意を払い帰りつく。
が、勝った陽気も手伝い、車内は平和ムードだった。
が、ふと見ると窓枠のところに、カミソリの刃が・・・・・
たぶんスリかなにかに使われたのだろう。恐怖しすぎもいけないが侮るのもいけない。