SF珍道中8最終回「愛と青春の旅だち」。




(1)さらばSF。最終日もチップを置くのですか?
(2)さらばバート。金返せ。2ドル返せ。
(3)シメはやっぱり、これでんがな。
出発の朝が来た。
街には霧が垂れ込め、朝の喧騒を吸収するかのようであった。
バートは空港方面へと急ぐ。名残を惜しもうにも、車窓は一面の霧のみである。
思えば、なんとも、もやもやとしたものの残る旅行であった。確かに楽しかった。
素晴らしい出会いもあった。しかし、なんだろう、このもやもやした感じは。わからない。
そう考えている間、確かに、「この電車は××まで、空港へお越しの方は△△でお乗換えを」
と一瞬聞いた気がした。いや、気のせいだろう。ま俺が勝手にそう聞いただけなんじゃないか。
俺がそんなん聞こえるわけねえじゃん。はは。そして再び思索に戻った。
と、バートは△△を過ぎた。そしてほんまに××で止まってしまった。うわ。やってもた。
俺、ほんま最後まで、何やってんやろう。ため息をひとつつく。
スーツケースを引きずり、ホームに立ち尽くす。ホームの真ん中でガイドを引っ張り出し調べる。
周りは丁度ラッシュが始まったところと見えて、急ぎ足で人が通り過ぎてゆく。そんな中、
大きなスーツケースは、まさにKYな感じである。それを見かねたのか、ご婦人が近づいてきた。
「空港?いったん下降りて、隣のホームに上がって!」 お礼もそこそこに、言われたとおりに。
で、荷物を持ち上げて階段を下りる。そして登り階段に向かおうとすると、別の人に呼び止められる。
「あっちにエレベーターがあるから、そっちの方がいい!」 従順に従う。乗り込むと、今度は
ボタンの種類の勝手がわからず、どうしていいかわからない。戸惑っていると、また別の人が、
「Pを押せ!」とご教示。いろんな人の協力により何とかリカバリーを果たす。やれやれ。
この、とっさに手を貸してくれるアメリカ人の姿勢には正直びっくりした。見習うべきものがある。
あとから考えればそう思うが、この時の私は、感謝より僻みが先に走っていた。
情けない、子供じゃねえか、全く。
バートは空港に到着した。実は昨日、オークランド以外にも足を伸ばそうかと思い、チケットに
料金を余分にチャージしていた。それが叶わなかったので、2ドルくらい余る形となっていた。
日本ならば、200円くらいまあ、となりそうだが、この時私は少し意地になっていた。
ここSFに借りを残したくない、みたいな気持ちが働いたのかもしれない。払い戻しを求めて、機械を
あれこれ操作したが、うまくいかない。たまりかねて、駅員に質問した。
「いやあ、そんな小額は払い戻せないねえ」 と駅員はにべもなかった。ただ次の台詞が面白かった。
「期限は無限なんで。次来た時に、また使って下さい」
しかたない。また来るか。今回はこの辺で勘弁しといたる。
「オケー。アイ・シャル・リターン。」
と、どっかで誰かが言った台詞を借り応答。駅員に通じたのかどうかは疑問。
それ以前に用法が合っているのかも疑問。
空港で時間があったので、朝食をとったり、お土産の買い足しをしたりして過ごすが、ここでも
結構いろいろやらかす。すっかり自信をなくしてしまった。不思議なもので、自信をなくすと、
相乗効果ての?ん、反対?ま、そんな感じで、ますます聞こえなくなり、しゃべれなくなる。
コンコースに腰掛けていると、アナウンスで、最終搭乗に遅れている日本人が何度も呼びだされて
いるのを聞く。その時、後ろで、英語での会話が聞こえる。私にはこう聞こえた。
「日本人、ほんま、なってないよなあ。放って飛んでったらええねん。」
「こっち来るのん、間違ってるよな。迷惑や。英語もできんくせに」
「エクスキューズミーときて、すぐパードンミー、や。ださ。」
「エクスキューズミー、パードンミー、エクスキューズミー、パードンミー、はは、こりゃええわ。」
怒りとも恥ずかしさとも、なんとも説明つかない思いとなった。確かに、愚かな日本人は多い。
それは同じ日本人として恥ずかしくもある。しかしなあ、英語しゃべれたら偉いんか、お前ら。
という怒りも覚える。俺らは世界で一番難しいと言われている日本語ができるんやぞ、なめんな。
といいつつ、私は英語でメシを食っているわけである。満足にでけへんくせに、だ。
国民の多くが満足にでけへん、そのニッチにうまいこと入り込み、うまいことやってるだけだ。
ともすると、英語ができない人を再生産し続けてるだけなんではないか。国際的に見れば。
じゃあ、俺がやってることの意味は何なんやろう… ぐるぐる、ぐるぐる。ぐるぐる。
バッグにはやりかけたの採点の束がある。ともするとゴミ箱に捨てたくなる衝動にかられる。
しかし仕事は帰国後すぐに迫っている。とりあえず今は目の前の仕事を片付けるのみだ、と思い直す。
飛行機に乗り込む。帰りの飛行機は「当たり」だった。
席は2人がけの窓側。足元もけっこう広い。前にモニターもついている。
それで結構機嫌がなおってきた。快適そうじゃないか。これで隣に人が来なければ、なおいい。
そう思い、バッグから採点の束をまた引っ張り出し、赤を入れながら離陸までの時間を過ごしていた。
と、そこへ、隣に大柄な若者が入ってきた。
「You, forty-A?」
おおそうだ、と答えると(英語)、礼を言いながら席についてしまった。ちぃっ。
横目で見ると、最初のランボーの頃のスタローンの髪型と体に、トム・クルーズばりの顔をつけた、
一口で言えば、イケメンであった。(バランスとしてどうか、という突っ込みもあろうが)
年のころは二十代前半だろか。なんだ、野郎か。そして一気に狭くなってしまった。機嫌が悪くなる。
視線を採点に戻し、赤ペンを握りなおす。しばらくすると、隣からの視線を感じた。
「のぞきこむ」というのはアメリカ人の国民性のひとつなんだろか。そして彼は言ってきた。
「You, studying idioms?」
私の「しゃべんなオーラ」を彼は難なく突き破ってきた。コミュニケーションがすっかり億劫になって
しまったこと、そして自分のやってることに対する疑問も手伝い、私は「ああ」と生返事した。
しばらく時は流れた。
「なんだ、つけてんのか」
思い切り、普通の日本語で、彼はもう一回話しかけてきた。
そのあまりの自然さに、私は吹き出してしまった。参ったよ、じゃあ会話しようか。
聞くと、彼は、かつて日本の大学の留学生だったんだとか。いったん帰国したが、思うとこあり、
一年間もう一度日本で暮らそうと思って行くところだ、と。ま今回は留学じゃなくて残念だが、とも。
流暢な日本語と英語をちゃんぽんしながら話をした。話せば話すほど、羨ましいほどの好青年である。
専攻は日本史で、子供のころ豊臣秀吉を本で読んで、彼に憧れ、日本に憧れるようになった、と。
日本の古典や、日本の美意識についての造詣も深く、日本人の歴史オタクである私もタジタジだった。
というか、相手は専攻学生である。敵うはずもない。日本でどこか行きたいところがあるか、と聞くと
滋賀県の長浜に行きたいと、それから愛媛県の棚田を見たい、と答えた。渋すぎる(笑)。
アメリカには歴史がない、だから歴史に満ち溢れた日本がうらやましい。
しかし日本人には自分の歴史の素晴らしさを知らない人がいる、それが残念だ、と彼は言った。
アメリカは短いぶんだけ、ある歴史をリスペクトしてるよねえ、とここぞとばかり返した。
それから、話は広がった、野球の話、彼の生い立ちの話、私の生い立ちの話、いろいろ。
しかし、何かあるとすぐ、「…をどう思う?」「…はどうして?」「それはなぜ?」「どういう点で?」
と来る。小さな頃から、そういう思考法と会話法を身につけているのだろう。感嘆するばかり。
私の生い立ちネタで「なんで」をやられると正直つらいのだが(苦笑)。
ただ、こっちから質問を返すと、必ず「It's a kind of good question ..」とはじめた。
ああ、この人はこういいながら考えているのだな、と思うと少しかわいく思えてきた。
それにしても、20代前半にして、これだけしっかりしてるとは、、、自分の20代とか思い出すと赤面。
完敗である。
彼はバスクの血を引いてて、いつかはスペインに行きたいと。ああ、バスクてフランスとの境だったけ。
うちのヨメさんはスペイン語やってんだよ。まバスク語はまた違うらしいけど。これも縁だねえ。
ちょっと、そのイディオム見せてください(生徒諸君すまん)、いやー、難しいのやってますね。
こんなに難しいのやってるのに、なんで英語が苦手なんでしょかねー、あ、あなたはうまいですけどね(笑)。
まー、彼らも「やりたい」という気持ちになったらやるんじゃないでしょうかね、私もそうでした。
あなたもそうだったのではないですか。
アメリカはどこどこ行ったことがありますか、ああ、NYとボストンとLAとSFですか。大都市ばかりですね。
今度来たら、中部にも足を運んでください、僕の故郷、アイダホはいいところですよ。何もないけど(笑)
言い古された言葉だが、十年一緒にいても分からない人もいれば、一瞬にして分かり合える人もいる。
会話ははずんだ、長いフライトが一瞬に感じるほどであった。
彼と話すうち、だんだんわかりかけてきた。いい出会いもあれば、嫌な出会いもある。
いいこともあれば、悪いこともある。いや、嫌で悪いことのほうが多いかもしれない。しかし、
素晴らしい人との出会いは、悪いことを吹き飛ばして余りある。また、後で思えば悪いことも面白く思える。
必要なのは、とりあえず行ってみよう、とりあえずやってみよう、と思う気持ちなのではないか。
自分は完璧な英語ができるわけじゃない、完璧な英語が教えられるわけじゃない、しかし、
こういう経験の素晴らしさを伝えること、またそのため最低限生きる方法を伝えること、その辺に、
自分の役割があるんではないか、と。ま、精進はしていかないかんけど。自分が楽しくなきゃ伝えられない。
彼には、大事なことを気付かされた。感謝感謝、である。
フライトも終盤に近づいたとき、「とりあえず今日ついたらどうすんの?」と尋ねた。
彼は、やはり「It's a kind of good question ..」とはじめ、実は、前日本にいた時からの彼女がいて、
遠恋していたが、最近うまくいってなくて…、今回も、帰国便は伝えたが、返事がないまま出発してしまった。
彼女が迎えに来てたら、彼女と過ごしたいが、来てなかったら …どうしよう?考えてない。と俯いて答えた。
ま、どう転んでも、正しい人生だよ。
来てたら万々歳だし、来てなかったら、新しい人生のスタートだよ。
そう言って彼を励ましつつ。ま、来てなかったら、うち来てもいいよ。ヨメも今いないことだし。
そんなことないと思うけど、と。内心、ほんまに来てなかったらどないしょう、と思ったが(笑)。
機は関西空港に無事着いた。
イミグレーション。日本人の私は簡単に通れたが、彼はなかなか出てこなかった。
待っている間に、メールや電話などを処理。だんだん現実に戻ってきたなあ。
と、彼が出てきた。「待ってくれてたんだ」
「君の目的地を見定めないと帰れないよ」 私は笑って返した。
「あー、どうしよう、あー緊張する」 イミグレーションから出口までの間、彼はこぼした。
私も、自分のことのように緊張した。いったい彼女は来ているか。なんと、映画のような恋。
外に出た。果たして!




「あーいたいた」
「え、ほんと?」
「ほんとほんと」
「よかったよかった、ほんとよかった」 
私は、出そうな涙をぐっと我慢。彼の方が意外と平静。
と、悔しいくらいのかわい子ちゃんが寄ってきた。
「来たよ」
「来たね」
くうぅ、絵になるねえ。
あ、こっちの人、飛行機の中でお世話になったんだよ。あ、こっちが彼女です。
いや、邪魔しちゃ悪いから、でも、記念に写真だけ撮らしてください。
てな、野暮なやり取りを緊急ですませた。急がねば。こうなったらオジサンは消えるのみ、ふぁ。
最後に、「彼はいいやつだよ!ほんと!」
彼女に宣言しつつ別れる。考えてみると、それは彼女の方がよく知ってること。
だから来たのだろう。余計な御世話だったか。彼らを背に家への一歩を踏み出す。
振り返ると、二人は熱き抱擁を。
若い二人の新しき門出に立ち会えたのは、非常に嬉しい経験であった。
と同時に、少し悔しくもあった。なんとイケメン。なんとかわい子ちゃん。格好よすぎるよ。
早く抱き合えなくてごめんね。悪かったねえ、といつもの僻みモードに入りかけるも。
俺も彼らにならおう。
旅は終わった。しかし、私の人生の旅は、ここからが始まりだ。
私は前を向き直り、さらに歩みを進めた。
                   (完)

*****
で終わったら格好良かったが。
実際には空港で、うどん食ってから帰ったのである(書かなくてもよいことを)。
また、私の人生の旅は、帰宅後、台所のある道具にびっしり生えていたカビとりから始まった。
あいやあ、現実は厳しいのことよ。