SF珍道中5「上る・登る・ノボル」。






(1)ケーブルカー。眼鏡を外した君は美しいはず。
(2)カニも踊ります。
(3)金門橋。心の目で見るのじゃ。
(4)一瞬だけ顔を覗かせてくれました。
(5)クラムチャウダー。隣の飲み物へのツッコミは禁ずる。
けたたましいパトカーのサイレンに何度か目を覚ますも、
休養充分、二日目の朝を迎える。
朝まだき、という感じの中、アメリカンな朝食を食らうために出る。
いい感じのカフェでパンケーキなるものを食す。てんこ盛りで出てくる。
バターとメイプルシロップがふんだんにかかっており、確かに旨い。
しかし、こんな甘いもん朝からがっつり食うとは、にんともかんとも。
注文するのが正直恥ずかしかったのだが、周りを見ると、身長2Mは
ありそうなヒゲのオサーンが、大きな体を丸めてもそもそ同じものを食うとる。
アメリカ人の食生活をまた疑ってしまうヒトコマとはなってしまった。
しかし、高かった、、、ベーコンとコーヒーつけて12ドルくらい取られた。
朝飯に1300円はありえんやろう。明日からは隣のバーガーキングや、と決心。
この旅行の敗因として、宿をユニオンスクエアにとってしまったので、
とにかく飯が高かったことがある。今度行くことがあれば気をつけたい。
腹ごしらえも充分すぎるほど済み、いよいよ観光に出かける。
本日はひたすら、おのぼりに徹することにする。
まずは、当然のように、ホテル前の乗り場からケーブルカーに。
長蛇の列が、乗り場の手前にあるターンテーブルを囲む。ケーブルカーがつくと、
係員がターンテーブルを手で(!)回し、カーの方向を変え、おケツで押し(!)
乗り場方向へ戻す。その一部始終は、一挙手一投足に至るまでショウアップされた
感がある。さすがはエンタメ王国、アメリカ。観光客を飽きさせない。
と、並んでいる列の前に中国人らしき家族が割り込む。むむ。むかむか。
その家族だけが悪く、多くの中国人は真面目だとは思いたいが、こういう場所では
「だから中国人は、、、」みたいに思われても仕方ない。反面教師としたい。
乗り込むと、いかにも頑固オヤジという感じの鉄道員が、君はあそこだ、君はこっち、
みたいな感じで乗客を仕切っていた。有名な「ステップ乗車」ができるのはご指名に
あずかったラッキーな御仁だけ。私は行きは運悪く、前に人が立ち全然景色が見えず。
(写真は帰り。ラッキーでした。かわいこちゃんとも密着でけたし(変態))
パウエル駅から、ノブヒルのセレブな住宅街(用法間違ってるいうねん)に至り、
チャイナタウンを抜け、終点のフィッシャーマンズワーフ駅まで、ガタゴト揺られ。
前のオサーンのお腹を見て過ごす。ま、わき腹の横から垣間見える景色はよかったが。
フィッシャーマンズワーフにつき、店を何軒かひやかす。ただ、昼ごはんにはまだ早い。
朝に食べたパンケーキがどっしり胃にもたれている。カニ食いたい。でも食えない。
腹ごなしもかねて、「金門橋を自転車で渡り船で帰ってこようツアー」に参加を決意。
(英語名称失念。ニュアンスはこんなものだった。私の訳が正しければ、だが)
陽光の中、風を切って橋をわたる。楽しからずや、だ。早速マウンテンバイクを借り、
さんさんと注ぐ太陽のもと、出発。右側通行に注意しつつ。短い足にサドルをあわせ。
しかし、想像と現実はえてして違うもの。とにかく風が冷たいのだ。まさかのために
持ってきたウインドブレーカーでもしのぎきれない。しかも、金門橋に近づくにつれ、
「霧のサンフランシスコ」とはよういうたもの。めっちゃ霧がかかってきて、肝心の
橋が全然見えない(写真)。ま、日ごろの行いの悪いせい、ということだろうか。
実際には、重い霧の中、冷たい風にさらされ、橋かただの道路かわからんのを行く、
てなことになってしまった。それでも、ほんの一瞬だけ橋は姿を見せてくれた。
ま、これも日ごろの人徳て、やつですか。(さっきの言葉はどこへ)
対岸のサウサリートにつく頃には、皮肉なことにまた、快晴に戻る。なんやねんや。
このサウサリートて町は、ほんまに高級感が溢れていて、別荘系の館がいっぱいだ。
今から頑張ったらこういうところに住めることがあるんやろうか。と少しブルーに。
食事は再びフィッシャーマンズワーフに戻ってするつもりだったが、我慢しきれず、
ここでピザのようなものを食す。しかし昨日からの、ホットドッグ→タコス→
パンケーキ→ピザというラインナップがボディーブローのようにきいてきたのか。
体調が下降線。本当はもう少しこちら側を回るつもりだったが、帰還決定。
すぐさま、船でSFに戻る。自転車のまま乗船、しばしクルーズを楽しむ。
映画で有名な、かつての監獄島、アルカトラズ島の前も通過。
バックパックの中には、しましま教徒、というくらい、しましまが好きなヨメに
おみやげとして買った、しましま囚人Tシャツがある。思い出しつつほくそ笑む。
SFの町並みが見えてきた。あまりに美しい。船内からは歓声があがり、乗船客は
思い思いの感動を、パートナーや家族に伝えている。感動をすぐに伝えらる
相手がいるというのは素晴らしいことだ。しかし今君はいない。旅情が胸を占める。
フェリーセンターに船はついた。ここから再び自転車に乗り、海沿いを
フィッシャーマンズワーフに向け戻る。食事、風で体が冷えたこと、慣れない運動。
また、ホームシック(早)。いろんな要素はあったろうが、とにかく体調が悪くなり。
カニは食いたかったが、これでカニ食って当たったら、目も当てられんな、と断念。
しかし、せっかくだから(またかよ)、もう一つの名物、クラムチャウダーに挑戦。
めっちゃ行列している本店らしきものはパスし、はずれにある屋台風の店に入る。
このクラムチャウダーは、なんとかという(名称失念)有名なパンの中に入って
出てき、パンを崩してスープとからめながら食すのが絶品、とのことだった。
暖かいスープが疲れた体にしみわたる。しかし全部はさすがに食えず。
もったいないとは思ったが、くずかご行き、ということになった。微妙だったのが、
ここで大量に余るパンを求め、ホームレスらしきおばさんが待ち構えていたことだ。
食は天下の回りもの。有効利用してくれるのはありがたい。けど、けども。複雑だ。
サウサリートもアメリカ。余ったパンを求める姿もアメリカ。こはいかに。
しんなりしてしまったので、まだ明るかったが、帰路につく。帰りのケーブルカーを
待つ間、見つけたネットカフェで、しばし日本の情報を集める。日記更新も果たす。
(証拠は過去日記に、、、てみなさんご存知か) 楽しい。しかし寂しい。
疲れた。てゆうか野菜食わせろ。これほど野菜を食いたくなったことはなかった。
やはり足りないものを体が求める、ということだろう。
しかし、私の行動範囲が狭いだけかもしれんが、アメリカで安全かつ新鮮な生野菜を
求めようとすると、結構苦労するという感がある。ホテルに戻った後、このまま
寝たろうかとも思ったが、野菜、野菜くれ、、、つうことで、ガイドブックに
「ホームメイドパスタやイタリア風サラダが評判」と書いてあったイタリアンに行く。
レタスがふんだんにつかってあるサラダ(てんこ盛り)、新鮮なトマトのパスタ(同)。
オーガニックなんとかというカクテルを頂く。ウエイターも感じのよい人で、
こちらの拙い英語を一生懸命聞いてくれ。しかし料金は税チ込みで60ドルなりい。どひゃー。
ここで到達した真理。心地よいサービスを受けるにはそれなりに金を払わないといけない。
故郷大阪。安くてもそこそこ旨いものが食べられる。しかもサービスと愛想は世界一であろう。
その大阪スタンダードで見てしまうというのはある意味不幸なのかもしれない。
しかし、結局金か、というのはなんとも寂しい結論ではあるが。
少し元気も出たので、ちとハシゴして近くのアイリッシュ・バーで好物のギネスを傾ける。
異国の酒場で、異国語のざわめきの中、ひとりグラスを傾けるのは、悪くなかった。
ラッキーにも、カントリーやジャズの生演奏も(統一感ないが)あって、雰囲気はよかった。
旅のこと、アメリカのこと、日本のこと、家族や友人のこと、人生のこと、思索はめぐる。
いやあ、俺ダンディ、みたいな。ゲッツもしちゃうよー、みたいな(古)
そんな私をそっとしておこうとでも思ったのか、話しかける者はなかった。
いいさ、私は孤独を愛する者。自分との対話を楽しみたい。至福の時間だ。
その話し相手であるもう一人の自分は、笑って言った。
「はいはい、ほんとは話しかけてほしいくせに」
「・・・・」
二日目の晩は、更け行くのであった。