道祖神のまねきにあひて2。

少し間があいてしまったが。続き、である。
近代日本の爛熟期、モボ・モガが闊歩していたその頃。
明治末から昭和初期にかけ、敦賀は欧州への表玄関であったそうな。
東京からノンストップ列車で敦賀港までやってきた人々は、ここから
海路ウラジオストクに向かい、さらにシベリア鉄道で遙かモスクワへ。
今では、桟橋と、袂の赤レンガ倉庫と、今では資料館になっている
旧駅舎(再現)にその名残を留めているだけではあるが。目を瞑れば、
汽車の車輪の軋み。乗降客の雑踏。銅鑼の音と飛び交うテープ。
そういったものが脳裏に浮かんでくる。そういう感覚は悪くない。
この資料館、敦賀北陸本線をはじめ周辺の鉄道史がコンパクトに
まとめられており、オタクならずとも時間を過ごすに値する場所だ。
というか、この辺の事情は自身、知ってて来たわけではなく、ぶらり
立ち寄ったこの資料館ではじめてわかったことである。おおそうか。
観光にもそろそろ疲れ、腹ごしらえをしようと市内へ戻る。
敦賀の名物といえば、何よりは豊富な海の幸なのは言うまでもないが。
他、「ソースかつ丼」と「敦賀ラーメン」が知る人ぞ知るB級メニューとか。
あ、B級というのは、私が貶めて言ってるわけでなく、敦賀市が出している
パンフレットに自分で書いていたんだぞー、て誰に言い訳を。
B級結構。B級はエイキューだ。とどこかで聞いたような洒落を言ってる場合か。
で、ネットのどのサイトでも一番にすすめていたソースかつ丼の老舗、
敦賀ヨーロッパ軒」に向かう。が。火曜定休。おおそうか。残念。
市内の別の怪しい食堂で、なんとかありつくが。で、そこそこうまかったが。
やはり「一番」はどれだけうまいのか。知りたい。是非リベンジしたい。
いつになるかわからんが。
おなかも一杯になったところで、腹ごなしに「気比の松原」を散歩。
なんか日本海て、孤独感を強めるよなあ。また、私は幼少のみぎり、日本海
溺れ死にかけたことがあるので、そのトラウマも影響してるんだろが。
その後、宿に落ち着き、完全に落ち着いてしまいそうになったが、いやいや、
せっかく来たんだから、と体に鞭打ち、再び市内へ。海産物を扱う居酒屋に
ひとり突入。うまい海の幸を、手酌とともに楽しむ。いや至福である。
また、周りの会話をも肴とする。(盗み聞き、ともいう)
やはり、工場系と電力系のサラリーマンが多いと見える。しかしいくら酔っても
自分の会社の悪口とか、あまり言うもんではないかも。恐ろしい程まる聞こえや。
あまり酔うと介抱してくれる人もいないので(普段もほっておかれるが)、
いい加減に切り上げ、いよいよメインイベント。「敦賀ラーメン」へ。
その途中、とある商店街のシャッターが目に止まる。ん。川藤スポーツ。ん。
どっかで聞いたような名前だが、、、すごく懐かしいような、、、何だっけ。
(あとで調べると、あの川藤選手のお兄さんのお店だったそうな)
敦賀ラーメン。国道8号線沿いに、所狭しと屋台が並び、県外からも沢山の
人々がラーメンを食べに訪れる北陸の穴場スポット!というフレコミだったが。
行ってみると、あら。ひとつ、ふたつ。二つしか出てないやないか。
酔眼で、ケータイサイトをチェックすると、ナンバーワン、ツー、スリー、
どこも定休。ぬぬう。この旅行、食に対する運はあまりないと見える。
さらにサイトを見ると、開いている二つのうちのひとつに関して、
「○○はありだと思う」というカキコがあったので、それを信じて入る。
ん。ありっちゃあありだな。しかしやっぱ、ナンバーワン・ツーあたりが
どんなんか知りたいなあ。別にナンバーワンだからうまい、なんてのは思わないが。
やはり周りの評価を加味して自分の立ち位置を決めたいわけよ。評論家としては(誰が)
そんなこんなで、敦賀の夜は更け行くのであった。
しかし食べ過ぎた。帰宅途中、家の前の急坂を登れるだろうか。転がるのではないか。
心配になるくらい。
今回の敦賀行、全体的には満足だったが、やはりかつ丼とラーメンはリベンジ要なのと。
次回行くことがあれば、原発も攻めないといかんやろな(穏やかでない発言ぽい)
ん。やはり、その土地のマイナス面(といったら語弊があるか)も見なければ、
その土地を見たことにはならんかも。以後気をつけたい。
以上、話はオチることなく終了。みなさま、長々すみませんでした。