沈黙。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

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「一人の人間が死んだというのに、外界はまるでそんなことがなかったように、
 先程と同じ営みを続けている。こんな馬鹿なことはない。」
「『俺を弱か者に生まれさせておきながら、強か者の真似ばせろと
 デウスさまは仰せ出される。それは無理無法というもんじゃい』」
「…が主の栄光のために呻き、苦しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音をたてて
 浜辺を噛んでいることが耐えられぬのです。この不気味な静かさのうしろに私は
 神の沈黙を―神が人々の嘆きの声に腕をこまぬいたまま、黙っていられるような
 気がして…。」
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幼き頃、近所の小母さんに連れられて教会のキャンプに行ったものである。
また、今、米国人牧師に英語を習っている。内緒だが。言うてもうたがな。
苦しい時はつい、いや苦しい時だけ、聖書から言葉を求めたり、祈ったりしてしまう。
人並み以上にキリスト教の知識は持っているつもりだが、それでも洗礼に踏み切って
いないのは、「神がいるなら、何故こんなに不条理なことがいっぱいあるのか。
何故神は何もしないのか」 ここのとこの疑問がクリアできないでいるからだ。
この重い重いテーマを扱ったこの名著。果たして答えが書いてあるのか、と
貪るように読んだ。で、結局どうだったか。ネタバレなので、詳しくは書けない。
お読みになった方ならおわかりかと思うが。それが答えなら答えなんかもしれんし、
そうではないんかもしれんし、まあこれでいいっちゅうたらいいし、それでいいのか、
とも思うし。そんな感じですよね。わかって頂けるでしょ?(わからんちうねん。)
例えば先だっての、ヴァージニアでの一件。つい先日の、エキスポランドでの一件。
そこに神の意図があるのだとすれば、到底理解できない。常人には。
ただ、私の人生の中で、神の存在を感じた機会は何度もある。
こうして生きているのが不思議なくらいである。この愚か者を生かしておくのは何故か。
やはり何らかの意図があるのかと、思いたくもなってしまう。
まああれだ、神は人間を超越した存在なのだから、到底人間の理解できるもんじゃない。
こう割り切ってしまうと、それまでなのか。
神は神、主、父、さまざまな表現で表されるが(ここ、誤解ならばごめんなさい)、
興味深いのは、モーセのところで出てくる「有って有る者」という表現だ
(英語ならば 'I am') デカルトじゃないけど、有ると思ったら有るのだ、と。
この辺にカギがあるのではないかと。
いやまあ、この「有る」=「存在する」も実に不思議な概念じゃないかと。
聞いた話では、自分が1秒前に存在したことを厳密に証明する術はないそうである。
うーん。こうしてみると、人間の哲学の歴史をイチから掘りおこさねばならんか。
これ以上考えると、また頭が沸きそうなので、この辺で。ドロン。