いいかげんにしろよ。

真田太平記は、7巻まで来た。あと5巻。
関ヶ原も終わり、あとは大阪の陣に向けての哀愁物語へ。
石田三成の、あまりのヘタレぶりに本を投げ出しそうになる。
西軍ファンとしては、もう、ちゃうやろ、何やってんの、の連続。
あたかも阪神戦をみているかのような。しまった、いらんことを思い出した。
まあ、現実は忘れ、話を元に戻す。今一度本を投げ出しそうになった瞬間が。
上杉景勝直江兼続ラインの信奉者でもある私としては、
因業じじいのような直江の描かれ方に少々不満があったが、出たよ、おい。
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筆者は、世上にもてはやされるほどに、直江山城守兼続を買っていない。
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この一節。植木等氏を哀悼しながら言うが「ハイそれまでよ」て感じだ。
小説において作者は創造主だから。読者は創造主の意図に従うしかないのだが。
創造主がかくもあからさまに意図を示していいものだろうか。
そもそも、創造主が姿をかくも頻繁に表していいものか。
隠れているからこそ、神もありがたいものなんじゃないだろうか。
なんかこう、こういう一節を見ると、この小説世界の全部が、
結局この人の好き嫌いの範囲内なんじゃないか、という意識が支配してしまう。
それはそれとして、虚構を楽しむ、というほど、ム、人間ができていないゆえ。
はあはあ、思わず怒りに任せて書きまくってしまった。どうもイライラしている。
やはり昨日の阪神戦のせいかもな。しまった、また思い出してしまったではないか。