塾講師。

という単語が、新聞、雑誌を賑わせているが。
その度にドキっとしてしまう。「すみません!出来心で!」みたいな。
ちょう、なんで俺が謝まらなあかんねん。
いやいや、えらいことしてくれたもんだ。
あまりに嫌悪感を覚えるニュースであるがゆえ、新聞読むのも嫌なので、
事件の全貌を詳しく知っているわけではないのだが。率直な感想として。
同業者として誤解を恐れつつ言うとすれば。
「殺してしまうほど生徒にいれこめるんや」という素直な驚きである。
いや、私がいれこんでない、というわけではないが。こういうことだ。
教師、と一般化していいのかわからないが、敢えて言うと、教師は、
生徒の人格や人生に「影響」することは確かにできるかも知れない。
しかし、生徒の人格や人生を「決定」することは到底出来ない。
若気の至りで私も後者のように勘違いしている時期はあった。
いや、最近までそうだったのかもしれない。しかしそれはあまりに
しんどいことである。それ以前に、不可能な事である。
というのは、人格も人生も「決定」できるほど単純ではないからだ。
それを「決定」する権利を教師が持っているとは、勘違いも甚だしい。
少なくとも私は、そんな権利持てないし持ちたくない。怖すぎる。
そういう制約の中、どう触れ合って行けるのか、ちょっとでも
「影響」してゆけるのか、教師ができることって、それ以上でも以下でも
ないんじゃないかと。て、ことぐらい、普通わかるよなあ。。。
時々それを忘れそうになるのが、教師という仕事の魔力なのか。
恐ろしいほど単純明快な犯人の思考の向こうに、
あまりにも複雑な人間世界の深淵を見た気がする。うまくは言えんのだが。