震災10年。

もう10年も経ったのかと思うと,時間の残酷さを思わずにいられない。
今私が訪れる神戸の町に,震災を感じさせるものはほとんど見かけない。
しかし私が訪れないところにはあるのかもしれないし,人の心中にはまざまざと
残っていることは間違いないだろう。震災とは我々にとって何だったのか。
神がもしいるとすれば,神が我々にあれを与えた意図は何だったのか。
昨日「あの日!官邸応答せず」というドキュメンタリー番組を見た。深刻な内容では
あったが非常に興味深かった。
東京の無人の省庁に続々と届くファクス。いつもと変わらぬ朝を過ごす当時の首相。
あの5時46分から僅か5分後の5時51分には出動準備を万端整えたにも関わらず,
そこから「出動命令」が出るまで4時間待たされた姫路の自衛隊
それまでにいくつの命が救えたか,というのは当然ながら痛ましい事実である。
が,「何してる首相!」「だからお役所は」と声を張り上げることがマスコミや我々の
唯一すべきことなのだろうか,とその番組は問い掛けていた(ような気がする)。
一番救出活動や報道を優先すべきところが,実は一番それが困難な場所であるということ。
「京都方面で地震」「死者1名」という「情報」を我々は一瞬でも真実と思った。
我々が信じている「情報」は,時として非常に断片的なものでしかない,ということ。
あ,だからa piece of informationていうのか,というのは関係あるのかないのか。
或は消火活動を延々と妨げる車の列。あれには人間のエゴというより,なんつうか
どうしようもなさを感じた。これは責めてるとかそんなんじゃなくて,うまくは言えんのだけど。
東京のアナウンサーがTVで「不要不急の車の使用は避けてください!」と悲痛な声を上げていたが。
おそらく神戸の人はTV見てないのよね。映ってないから。そういう言葉で伝わるだろうか。
なんともまとまりつかないが。最後に,まとめになるかどうか。
「あの日」が何曜日だったか?と考えてみたら,当然ながら火曜日である。間違いない。
大学のゼミ演習が毎火曜日の午後で。あの日もK都の大学では変わらず演習が開催されたとか。
兵庫の実家にいた私は当然行か(け)なかったわけだが,K都在住組は後ろ髪ひかれつつも出席し,
指導教官の「なんでこんなに少ないんだ今日は!!!」というお怒りに触れたらしい。何だかなあ。
これも責めてるとかじゃなくて。少し哲学地味て言えば,彼に限らず全人類の
誰もが,世界の中心にいると同時に,世界の最果てにいるのではないかと。うむ。
震災の「学び」はこの例に如実に現れている気がする。すんません。なんか後味悪い。