禁断の未来。

先日アイロン掛けしてたら,テレビがつけっ放しで。これが不覚だった。
なんやしらん,アニメ「タッチ」の後日譚みたいのが始まって。観るともなしに観ちゃった。
激しく後悔の念に苛まれる。いや。恐ろしくつまらんかった。金払って観てたら暴動もんだよ。
あまり書くとネタバレだからあれだけど(てゆうか観る人いるんか),微妙の一言だなあ。
優しいタッちゃんが悪い女にひっかかり。。ということなのだろうが。南のがよっぽどキショい。
相変わらずヤな女だった。あー。ほんまにあの系統の女はアレなんだよ,ねえ(君何言ってんの)
まあそういう相変わらずの人との相変わらずの再会もそうだけど。「続編」は危険と隣り合わせだ。
あるストーリーが終わるとするじゃない。すると終わった瞬間から無限の分岐が生まれるのだよ。
達也がシャブ中になるかもしれない。達也の更正を目指す,南の壮絶な記録が綴られるかもしれない。
それでも達也は真の解脱を求めて原田君とインドへ行ってしまうかもしれない。
あるいは南にフラれてキレた新田君は,西村の彼女にちょっかいを出し始めるかもしれない。
うなる財力にまかせて,バイクをスポーツカーに乗り換えた新田が,彼女を連れ去りに来る。
「ごめん新田君。私にはやはり勇ちゃんが。。」という彼女に我々は真の愛を見るかもしれない。
まあこんな与太話は別として(そもそもが与太話)。こんなのも含めた無限の分岐の可能性が,
ストーリーに奥行きを持たせるんじゃないかな。続編作っちまったら,ひとつに決定しちまう訳で。
奥行きもへったくれもなくなってしまう。作るなら,別のストーリーを始めるか(子供世代とか),
前のストーリーを下地にするのでも,世界を膨らませてゆくものでなくちゃ。
それでないなら。終わった話はやっぱ,終わらせとかなきゃ。未来が知りたい気持ちは誰もがある。
しかしそれは未練というものだ。まあなかなか割り切れるもんじゃないけどねえ。
そういや前,某深夜番組で某作家が面白いこと言ってた。ある決断をした時,またある事が起った時,
その瞬間のたびに,「そう決断しなかったら,或はそれが起こらなかったら,成立したであろう世界」
が生まれるのだと。それは確かに未練である。でも,そういう世界をいくつ持っているかというのが,
人間の「深み」を生んでいくんじゃないか,と。あ,それはいい意味でも悪い意味でも,と。
あれ,何で俺こんな話してんだろう。うーーん。わからん。
ま,いいか。