ハムスターを飼うということ。

おおそうか

ソクラテスジャンガリアン・ハムスター/♀=写真)を見てるといろいろ考える。
悪妻は人を哲学者にする,かあ。お互い大変だねうんうん。て命を危険に晒す冗談はさておき。
てゆうかそもそも,お目にかかること自体,少ないのだが。総時間は1日10分もないかもしれん。
といって,エサはバッチリなくなっているし,ケース内の地形も大幅に変わっているので,
夜中など我々の見ていないところでは活発に活動をなさっているようである。といって推測だが。
この間夕方帰宅し明かりを付けたら,表に出ていた。「しまった見つかった」とでも言いたげである。
ようわからんけど我々が見ていないところでは結構楽しく,かわいく振舞っているのであろうかと。
しかし我々が「見る」ことによって(何だその括弧)事象に影響が加えられてしまうのか。
シュレディンガー」と名づけたらよかったかな,と少し後悔。言いにくくてかなわんか。
シュレディンガーの猫の話では,「生死の狭間の揺らぎの状態」とかいうフレーズが出てきたか。
それと関わるかはわからないが。こんなことも考えさせる。
ハムスターは長くても二年しか生きないそうである。最初飼育に二の足を踏んだのはこの点であった。
飼った時点から別れが運命付けられている。そんな悲しいことがあろうか,と思っちゃったわけで。
しかし考えてみたら,それは我々人間だって全く同じわけで。命は万人平等に限られているわけで。
普段我々はそれをまるっと忘れちゃってるだけで。真面目な話は北の国から口調でやっちまうわけで。
ゴールがあるからドラマがあんだよね。それが100mかマラソンかの違いか,というだけで。
さあ地獄の無制限マラソンはついに12350km地点にさしかかりました,全員疲れています。とか。
大変です昨日コミッショナー裁定で野球は無制限になりました。昨日から始まったこの試合。
次は延長245回裏に入ります。観客は誰もいない中選手は適当にプレーしてます! ナンセンスの極み。
その二年後のゴールを如何によく迎えようか,それを考えつつ二年を精一杯大事に楽しもうと。
と考え直したわけである。自分らもそうせなあかん,忘れちゃあかんのちゃうかなと戒める機会にも。
で,大事にしてる筈なのが,寝てばっかりなんかいなとツッコミたくなるが。俺もそうかも,自戒。
いやいや。見られていないとこでは,ちゃんとやってるかもしれない。それは誰にもわからん。
とまあ,ムはごちゃごちゃ考えちまったわけで。本人(人?)は考えてるか知りませんが。