素人なりの歌舞伎鑑賞。

少し前のことになるが、書く機会がなかった。
先日非常に久しぶりに、歌舞伎を観に行った。いや、前は「観た」というほどでもないか。
中学だか高校だかの課外活動で、訳も分からず連れて行かれ、座らされていただけだった。
出し物が『俊寛』であったことだけは覚えている。概ねは心地よい眠りに陥ってしまってて、
「だーまーーれー、しゅーーんかーーん」という大音声の時だけビクッと起きたものである。
今回の鑑賞にあたり、同僚の歌舞伎通の人に、少々アドバイスをもらったのであるが、
その時にこの話をしたら、最初が『俊寛』てかわいそう。あれは素人にはわかりにくいよ。
学校も歌舞伎に親しんでもらうつもりなんだったら、もっと考えてもよかったのにねえ、
と言われた。どうも自分はこの手の「初回運」に、幸か不幸か恵まれていないらしい。
競馬やパチンコのギャンブルも最初に大負けして以来、寄り付きもしなくなってしまったし。
夜のツヤっぽいとことかでも、最初が今だにトラウマのような経験で、それっきりだ。
て何の話であるか。お通夜かしら?、靴磨き?、親父の禿頭?(誤魔化すな)
話を元に戻す。というわけで、今までの自分にとって歌舞伎は非常に縁遠いものであって、
ザ・グレート・カブキカブキロックスくらいの知識しかなかった。てそれを数に入れるか。
今回観に行ったのは、市川猿翁猿之助・中車はじめとする澤瀉屋・寿新春大歌舞伎だった。
て、ごめんなさい、素人ゆえ、用語使用とか事実認識とか無茶苦茶かもしれないがご容赦。
猿翁・中車の「親子共演」が目玉であったのだが、この日は猿翁が体調不良で休演で残念。
よって猿之助が代役を務めた。猿之助―中車のマッチングはそれはそれで興趣があった。
最後カーテンコール(?)の時、中車が猿之助の手を押し頂いてたのが面白かった。
中車は石川五右衛門を演じていたのだが、不謹慎にも自分はカトちゃんを思い出していた。
同様に女形を観ると志村けんを彷彿とさせた。いやむしろこれは真逆で、カトちゃんらの方が、
歌舞伎の影響を受けているのだな、と今更ながら理解した。他にも映画やドラマなど芸能の
の様々な局面で同様に「歌舞伎」を感じることがあるかもしれない。新たな楽しみとなった。
影響と言えば、なんかヨロイを引っ張り合うやつの時の、離す離さないのやりとりとか、
「合点がゆかぬー」(『毛抜』)や「絶景かなー」(五右衛門)といったセリフとかも、
他のどこかで見聞きしたもので。日本文化の根底のところに歌舞伎が流れているんだ、
という認識を(レベルの低いところではあるが)新たにした。
中車も頑張っていたし、猿之助の狐の演技も、狐感たっぷり(?)で目が離せなかったが、
素人目から言うのも恐縮だが、『毛抜』の市川右近という人の演技が最高に印象に残った。
それをヨメや前述の同僚に言うと、さもあらん、という調子で背景事情なども教えてくれた。
そいうのを聞くと、これは自分も応援せねばなるまい、と思った。今後注視を続けたい。
というわけで、今回の歌舞伎鑑賞は、学生の時と違って非常に面白く、機会が得られるなら
また行きたいと思った、が。もっともっと勉強してから観たら、もっと面白いんやろな。
義経千本桜』では、『新・平家物語』を読んでいたのが非常に役立ったが、まだまだだ。
勉強と鑑賞を重ね、いずれは「素人なり」ではない語りができるようになりたいものだ。
ただそのためには、お金がいくらあっても足りない。